ぽえかふぇ 第25回は村上昭夫なる人

28日はカッカカフェさんで村上昭夫篇。いやぁ、抹茶スコーンがしっとりしていて旨いのって。
初参加のメンバが4人くらい。常連メンバだけでなく、裾野がひろがりつつあるポエカフェ。
このポエカフェは敷居が低いのが良い点で、昨日は途中で脱走する紳士もいらっしゃいました(笑)月末の土日って行きたいイベントだらけなのが困りモノ。体が最低二つには分裂してほしいわ。そう、遅れてもいいし、脱走も可能。来たい詩人の時にくればよい。
村上昭夫といえば一冊しか出していません、その名も「動物哀歌」
今回の詩人は昭和2年生まれで41歳までしか生きられなかった。
岩手の今の一関生まれで6人兄弟の長男。(ここ、後ほど、重要)中学時代にパラチフス病にかかる。
中学を卒業し、18歳で満州に行き、現地部隊へ入るも8月に終戦
シベリアで3ヶ月抑留されていたらしいが、このへんの文献があまりないそうなのだ。
20歳で郵便局勤務。23歳でまた、病気。今度は結核。病弱な村上昭夫は「きけ、わだつみの声」という映画を見ていて、引用された宮沢賢治の言葉に衝撃を受ける。村上昭夫が一番傾倒していた宮沢賢治

どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいやうに早くこの世界がなりますやうに、
そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません

この言葉を今、戦争している人たち全てに聞かせてやりたい。
やられるから核兵器をもつとか、そういうことを言う人たちに。
24歳サナトリウムにて創作活動を開始。高橋昭八郎という私の知らない人と会う。高橋昭八郎といえば、わが国の前衛運動の拠点となった、北園克衛の「VOU」の後期を代表する存在であるらしいが、グーグルで調べてもなかなか出てこない詩人だな。もっと奥深くまで、何頁もぐぐらないといかんようだ。そういえば北園克衛を専門に調べているお方も参加されていて、恐るべし、ポエカフェ。
最初は俳句を投句していて、昆ふさこという重症患者と親しくなる。(これもテストにでます、おい)
26歳で退院し、岩手日報の詩の投稿欄の選者、村野四郎に才能を見出される。
28歳の時、宮静枝と交流(ううむ、また知らん人がでてきた・・・)次から次へと知らない人が出てくるのが苦痛じゃないのがポエカフェの魅力でもある。
30歳で「動物哀歌」を発表。32歳で右肺に空洞がみつかる。その翌年、家族は公衆浴場を開業。「テルマエロマエ」?(笑)何故、浴場なんだと思っていたら、父親の暖かい配慮だったんだね。病弱な村上昭夫も自宅が仕事場ならね、ちょっとでも手伝いやすい。34歳の時、医者にあと5年ほどの命と宣告される。その絶望の救いになったのが般若心経。
38歳ー闘病生活の中で500枚の原稿を清書するも、出版を拒んでいた。治療費にお金がかかっていたから、自分の本ごときでお金を使えないと。それでも昆ふさ子の懇望により、やっと決意。ほんと、決意してくれなかったら、この25回はなかったかもしれないからなあ。
宮静枝と大坪孝二に原稿をゆだねる。限定300部の「動物哀歌」これって自費出版か。こういう人を出版社は救ってあげてほしいぞ。
この本出るや否や、土井晩翠賞、H賞を受賞し、一躍、時の人になる。
動物の言葉がわかるとNHKのラジオで語っていたらしい。草野心平だ・・・
晩年、村上昭夫は失明し、最後は肺結核、全身衰弱で昭和43年、41歳の若さで命を終える。
さて、詩にいきましょう。
「ねずみ」という詩がまず、刃を向けてくる。ねずみは我々、人間だ。次のフレーズが強烈にささる。

一匹のねずみが愛されない限り
世界の半分は愛されないのだと

世界ではなく、世界の半分というところが巧みだ。一人は皆のために、皆は一人のためにというフレーズが浮かぶ。

次は「ひき蛙」一行目から読む者に問いかける。それが突き刺さる。

お母さん
もし私が醜悪なひき蛙だったなら
あなたならどうします

弱いものにたいしての深い愛情、長男としての責任を果たせずにいることの申し訳ないという気持ち、自分という存在そのもの。
村上昭夫は責任感が強い人で、病弱な自分が長男として家族を支えてやれないから申し訳ないという自責の念が詩にも現れる。
「一番星」はまさに昭夫自身を投影している。
一番星は空の悲哀の子だと始まり、最後の4連目では、一番星は最初の不安を空にもたらしたと続く。
哀しい、孤独で頑なで救われない不良の放蕩の子だと自分を語っているかと思えば「黒いこおろぎ」がまた強烈だ。
私らの苦しみは黒いこおろぎの黒い足のつま先の一万分の一にも値いしない
と冒頭からカウンターパンチだ。
世界で一番自分が苦しいと思ってたら、おこがましいわいと叱られてしまいそうだな。
人間が一番偉いなんて思うなよって言ってるのかもしれないなあ。

「蛇」にも印象的なフレーズがある。
世という世には
なぜ嫌われるものと嫌うものがあるのだろう

何故、人はいじめなんて哀しいことをするのだろう、何故、戦争をするのだろう。そんなことを考えてしまう。
「誰かが言ったにちがいない」この詩、反語的、自問的で色々考えさせられる。
野良犬だからといって殺される
誰が言ってもいいのだ
神様が許してくださるだろう
だが私ならどうしたらいい
連れ去られてゆくあの犬を
黙って見ていた私は

野良犬というだけで暴れたわけでもないのに捕獲員に連れていかれる。他の人ならいいのだと、そこが納得いかない。
私ならどうしたらいいとあり、おまえならどうする?と問い詰められているようだ。
他の人は神様が許すけど私は神様が許してくれないだろうともとれる。そう、止めるでもなく黙ってみていた自分も同罪だから、
許されないということだろうか。

「病い」という村上昭夫ならではというか、彼の人生を象徴しているような詩もある。
病は光より早く、金剛石より硬く花よりも美しいといった感じで書かれている。
中学生の頃から病弱で、余命宣告までされて、病は花よりも美しいなんて言える人がいるだろうか。
病いを楽しんできたわけではない。ずっと苦しみ、長男として、申し訳ないとひたすら思っていたのだ。
最後に
病はおそらく
一千億光年以上の
ひとつの宇宙なのだ
とある。
彼の詩には宇宙、億光年といった、広大な単語から虫まで幅広いのだが、常に自分の存在価値を確かめていたのかもしれない。
どんな命にも存在理由はあるのだと。