晩年の父犀星

ショックだ。9日にアップしたはずの記事が載っていない!!どないなっとんねん・・・毎日書いてた連続記録が途絶えたやん・・・誰か、午後22時になるとまだやでーーと自動的に知らせてくれんかな(どんだけ・・)さ、もうええわ、気を取り直してと。
明日は休み、13日は夕方頃までの営業予定です。
「晩年の父犀星」室生朝子(講談社文芸文庫)読了。
ポエカフェで犀星を学んで、「杏っ子」を読み、もう、この父娘の仲のよさに惹かれてしまい、そうなると、この本のタイトルだけで即買ってしまいますな。本も連鎖なんですな。一冊だけで終わってもいいけど、そこからどこへつながるのか、その人次第。
杏っ子は父からみた娘の物語。今度は娘からみた晩年の父。書き手が逆転すれども二人の間に流れる絆というか、愛情の深さはみじんとも揺るがない。
幕開けは犀星の入院から始まる。
昭和36年夏、軽井沢の別荘で元気に過ごしているはずの犀星に弟朝巳の入院手続きのことなどで相談しに行く娘の朝子。実は父が近くの文学碑にさえも歩いていくことができない状態だと初めて知らされる。微熱が続いて、咳もでていた。
犀星は狸親父だったのだ、ちゃうちゃう。秘書の万理江とお手伝いの女に「もし喋ったら絶交!」と固く口止めさせていたのだ。これはいわゆる脅迫ですか(笑)これ、皆さん、どう思いはりますか?朝子はこの女どもに呆れてしまいます、いくら口止めされたかて、すこしくらいいえるやろってね。私は朝子に一票ですな。でもこれ、犀星の親心なんです、朝巳のことでめっちゃ疲れてる朝子に余計な心配をかけたくないと・・・
まぁ、家族が一人でも倒れると大変で、さらにもう一人なるとねぇ・・・
面白いのが犀星の挨拶。「おうほ!」どんな略なんでしょうか。
東京に戻ってきて、朝子に久々会って開口一番「君の小説の題はどうなった?」と言う犀星に娘でなくてもほれますな。で、この小説って何やろ・・・朝子はんの小説を次は探さないといかん。K社ってあるから、講談社ではないかと単純なわらわは思うのだがにゃー。
犀星は一日に決めた本数しか煙草を吸わない。。一方、朝子は日に20本以上吸う。吸うことを禁止はしなかったのだ。女のちょっとした動作にでもその女の持っている美しさを発見する父は、煙草の吸い方にも美を求めた。
室生家は変わっている。何がって入浴時間だ。犀星が午後一時に入り、他のものも続けて入る。寝る前ではないのだね。仕事で日中、外に出てる家庭なら、無理だよな。
犀星の日常生活はきっちりと決められている。原稿は一日に三枚しか書かない。そんなかっちりとした犀星が一度だけ(朝子の物心がついてからというもの)、約束の日に原稿が上がっていなかったことがある。それが最後の「老いたるえびのうた」だった。
犀星は変わっている。72年の人生で二度しか電話で声を送ったことがないといのだから。ある意味ギネスではなかろうか。電話嫌いもここまで徹底していたら脱帽である。
一人一台は携帯を持つこの平成の時代に生きていたら、犀星は何というだろう。
室生家でも女同士で会うことをおデイトなんて言ってたんだね。
他にも面白いかったのが、軽井沢で貸しテレビをレンタルしていたということ。当時、一日200円だったらしい。今の値段だと10倍?いや、100倍か?
テレビって借りれるのかとあたしゃ、思ったさ。あんな重たいもの、業者が持ってきて、ちゃんと設置してくれるんだろうか。そしてまた、返却の時も・・・

犀星の身体が歩いていて、左にやや傾いてきたり、お小水がでにくくなったりとリウマチなどの病状の進行状態がこと細かに淡々と語られていく。
犀星は薄々、肺癌のことに気付いていたのではなかろうか。そしてあくまでも知らぬふりを貫いた。
娘をこの物語ではずっと「君」と呼んでいた犀星。娘をこう呼べる父親ってそうはいないだろう。
P189のこの一行が朝子の父親への思いを見事に表していてぐっとくる。
〔一人の一番愛していた父親であり男性を、永遠に失う瞬間が今日中にひっそりと訪れることだけが、その時、私には明瞭に解っていたのだった。〕
犀星の自宅や入院先に著名人が次から次へとお見舞いにくる。
宮城まりこ(おお、ねむのき学園の人!)、堀口大学堀辰雄夫人、円地文子森茉莉福永武彦など。犀星のすごさを物語る。
犀星が入院中に朝子の弟、朝巳に長女が誕生する。犀星が洲々子と名づける。犀星もやはり孫の前ではいいおじいちゃんだったようで、ちょっと読んでいてもほんわかしてしまう。
照れる犀星・・・(笑)
この文庫には「三人の女ひと」という物語もおさめられている。この話の感想は後日、又。