ポエカフェ西尾勝彦篇

今回は久々に王子の古本屋さんー古書くしゃまんべさんでのポエカフェである。
今日は現役で活躍中の西尾勝彦さんである。
1972年京都の中京区生まれ。家と工場が一緒で父は板金・溶接職人であった。
7歳の時、1年で習う「花」や「山」などの形に何故か感動したという。私は山なんて簡単な漢字でいいなあとしか思ってなかったと思うが。この感受性の違い・・・(笑)
この人、意外と学生時代のエピソードが面白いのだ。他にもあるぞ。
16歳で片道1時間半以上もかかる5年生の理系学校に誤って入学って・・・学生諸君、進路は大事ですよ。暗く過ごすとあるが、この期間に読書に親しめたわけだから、何もかもが無駄だったということではないだろう。
24歳で教員免許を取ることにする。この年に結婚し、翌年に長女誕生。
26歳ー大阪の巨大な私立高校の国語科教員に(どこやろなあ)
28歳の時に長男も生まれ、そろそろアパート暮らしも限界に。
29歳ー奈良に転居。
35歳ー美術作家永井宏の通信ワークショップに参加し、詩を書き始める。この先生のアドバイスは簡潔で的確だったとのことで、西尾勝彦という詩人になくてはならない人物である。
何かをやり始める初期の段階でこういう素晴らしい先生にめぐり合えるという運の強さを西尾さんは持っていたのだ、自分で引き寄せたのだ。
36歳、小詩集「大きな鯨」「手ぶらの人」を手作りする。
京都のガケ書房などで販売していたというのだから、すごいことである。
37歳ー初の個展・朗読会を京都のミズカで開催。その後、東京のリトルコでも個展・朗読会を開催。
38歳ー詩集「フタを開ける」(書肆山田)刊行。詩集といえば、思潮社に書肆山田である。その書肆山田からだから、すごい。
39歳ー次男が生れる。フリーペーパー「粥彦」の発行を始める。
年譜の終りに西尾さんの好きな作家・アーティトが書いてあって、これがまたコメントがついていて面白いのである。尾形亀之助ーいまだによくわからない詩人。読むとなまけたくなるのでちゅういと書いてある(笑)さて、詩にいきますよ。

「言の葉」の冒頭がいい。
大切な人が
言葉を拾っている姿を見かけたら
声をかけないでください

ここだけでもじっくり何度も読み返してしまう。
つい急かしてしまうけど、つい、早くしゃべらなくちゃ、何かをいわなきゃと思ってしまうけど、ゆっくりでいいんだよとこの詩は教えてくれている。

次に突き刺さってきたのが「優しさ」
3連あるうちの真ん中の連から

そして優しい人は弱い
すぐに
人を信じてしまうから
すぐに
心 傷ついてしまうから

でも弱い人は強い
その矛盾を
噛みしめて生きているから
その矛盾を
深い
優しさに代えていくから

「そぼく」
最後の2行が実にいい
損得では動かなくなりました
わたしはわたしになりました

損得ばかりで動いているこの己が恥ずかしくなる、姿勢を正したくなる、でもどこかふんわりと穏やかな気分にさせてくれる詩である

こんな素敵な詩を書く西尾さんに的確なアドバイスをしたという永井さんに私も教えて頂きたかった。もうこの世の人でないというのが残念である。

さて、くしゃまんべといえば丼である(おい)毎回楽しみなポエトリーフード、本日は奈良漬のお茶漬け。おつまみはクリームチーズと大根で挟んだ奈良漬。この発想がすごい。
このお茶漬けがまたさらっとしていて、もう油揚げは美味しいし、だしは旨いしでぺろっと完食です。最後にまたMさんと一緒に王子のきつね丼をシェアして食べたという・・この王子のきつね丼はくしゃまんべさんのフードで最強だと思うのです。ここへ来るたびにまず、これを食べたくなるのです。毎週食べても飽きません、断言します(笑)
私はくしゃまんべの入口のドアを開けるや否や、メニューをみて「お茶漬け下さい」と叫ぶ不届き者であった。