ポエカフェ尾崎放哉篇

ポエカフェの参加者に新しい動きがでつつある。前回参加してくださったぴっぽさんのお母様が今回も参加。しかもなんと今回はお知り合いもつれてくださってである。ぴっぽファミリーがじわりじわり、増殖中なんである。そして参加者の幅もぐんぐん広がっている。静岡から参加者はいる、そして上海の方も初参加。世界に広がるポエカフェなり。
尾崎放哉、知りませんというと古本屋としてどやねんと御尤もなお叱りを師匠から頂く。では気合入れて勉強しましょう。
1885年(明治18年鳥取生まれの放哉。父は地方裁判所の書記をしていたという。三人兄弟の末っ子だが、兄が5歳で亡くなったため、実質一人息子同然で大変かわいがられたという。
作文が得意で成績優秀。小学校時代は祖母に連れられ、浄土宗のお寺によく説教を聴きに行き、老荘思想に傾倒。
14歳ごろから句作を開始。
放哉が15歳のとき「明星」が創刊され、17歳の時、巨星、正岡子規逝去。
子規のバトンは高浜虚子河東碧梧桐に継がれていく。
18歳、一高ではボート部に入部。元来好きだった海が更に好きになっていく。
19歳、一高でなんと夏目漱石に英語を習ったというからすごいなあ。
翌年漱石は「我輩は猫である」を発表。放哉はいとこの芳衛に結婚を申し込むが芳衛の兄の静夫の反対にあい、一旦断念する。
この頃は芳哉の雅号を用いていた。
21歳のとき、再三、結婚したいと静夫に頼むも結局は聞き入れてもらえず、諦める。自分の思いを海に放つということで後に雅号は放哉に。26歳で坂根馨と結婚。
今回の年譜、気のせいであろうか、一発で変換しない偉人が多い。旧来の定型句から脱却し、自由律俳句樹立を宣言した萩原井泉水は河東碧梧桐の協力をへて「層雲」1911年創刊。
その層雲に放哉の句が30歳のとき、掲載され、自由律俳句に打ち込む。
放哉、生命保険会社の次長までやっていたのだが、大雑把な仕事ぶりや酒癖の悪さがたたって、策略をはかられ、辞任。どんな策略やねん、恐ろしいわ。東京での飲み屋のつけは莫大で借金の連帯保証人であったかわいそうな難波誠四郎は大変苦労する。啄木といい、放哉といい、どいつもこいつも(笑)
しかも放哉、禁酒の誓いをするも結局破ってしまう。そんな放哉じゃけ、唯一の親友、難波との交情も途絶える。このあたりから放哉はどんどんマイナス思考の蟻地獄へと堕ちていく。今更ながらに自分の愚かさを悔やみ、自殺願望を抱くようになる。自分だけやったらまだしも、妻に心中をもちかける。この奥さんが強い人でよかったよ。妻の馨は激しく拒否。放哉は寺暮らしをしようと決意。奥さんはもちろん、ついていきませんでした。
だが、ここからもすんなりいかないのが放哉。寺勤めに真面目に精進するも体が耐えられんかったのと集団生活になじめず4ヶ月で白旗。
そしてあろうことか、井泉水が訪問した際に酒が酒を呼んで大失態。寺を放免される。師匠、酒をのませたらあかんて、この人!
もはや放哉が頼れるのは井泉水一人きりである。このお方の仮寓に転がりこみ、ずっとそうするわけにもいかないので、小豆島の南郷庵へ行くことに決めたのが1925年40歳の時である。
1年で50円しかもらえない生活で放哉は焼き米・焼き豆を主食とする新生活様式を考案。享年41歳。
放哉といえば「咳をしても一人」しか知らなんだ。というわけで放哉の句をちょこっと紹介。

よき人の机によりて昼ねかな

いいでしょ、これなんて、ストレートでシンプルに伝わってくる。よき人にはまだ想いをつげてないのかもしれない。放哉は芳衛のことを念頭に作ったのかもしれないけど。どちらにもとれるいい句。これを中学時代に作ったというんだから、すごい。

朗読はしなかったけどこれもいい。
ふとん積み上げて朝を掃き出す

爽やかな朝のひとこまが目に浮かんでくる。

大正7年に作ったこの句は本好きな方、是非。

本がすきな児に灯があかるし

書店のポップに使いたくなるような句だねぇ。

大正8年のこの句もぎゅっと凝縮されていい句なのだ。

もぐらが持ちあげしその陽の色

何を持ち上げたんでしょう、もぐらさん。そりゃ土やがな。
この句でどこをカットするかというとそう、土しかない。
短すぎず長すぎず、まさにどこも削りようがない、必要最小限の言葉だけを使っての一句。

俳句を練習するのではなく、人間を研鑽することと放哉は言うてたらしい。なんていいことおっしゃるんでしょうと思いつつ、酒に溺れたのは誰や(笑)

自分が朗読した句も好きになった

人をそしる心をすて豆の皮むく

これ、部屋に貼っとこうかな。

何か求むる心海へ放つ

これは放哉が芳衛を諦めた時の心情を詠んだのかもしれない。
でも私はあえて、悲しみの末の句ではなく、これから頑張るんだという希望を持ちたいがために読んだ句ととらえることもできるなと最初に思ってしまった。作者の意図とは反しても読む人によっていろんな読み方ができる、いろんな想像を膨らませることができる句ってすごいなと思う。
しかもこんなわずかな言葉で。

咳をしても一人の隣にこんな面白い句がありんす

墓地からもどって来ても一人

ポエカフェで〜しても一人というのがこの時間中に会話で流行ったのは言うまでもない。

いつもおいしいだけど、今日のポエカフェフードも絶品。大好きな栗がはいったスイーツでした。あぁ、また食べたし。