ポエカフェ種田山頭火篇

種田といえば中日の選手と山頭火くらいしか知らない私。今回も神保町の喫茶伯剌西爾にて開催。本名は種田正一と申す。生まれは錦帯橋で有名な山口県防府で、1882年(明治15)大地主の家の子どもでごわす。父は村会議員、助役など勤めるが、当時最大の社交場の五雲閣で妾は持つは芸者と遊ぶは好き放題していた。こんな男、今の世ならさっさと別れてしまえと言いたくなるが、それを苦にした母フサは家の井戸に投身自殺。9歳の山頭火に暗い影を落とす。
中学の頃から成績良く、学友と俳句を作り出す。20歳 尋常中学(現 防府高)を首席で卒業し21歳で早稲田大に入学するも22歳で神経衰弱の為、中退。山口へ帰郷。24歳 父が買収した酒造場をもとに2人で「種田酒造場」を開業するが、経営難で屋敷の一部売却。
27歳の時、父の勧めでサキノと見合い結婚。前年、防府の屋敷全て売却。翌年、長男健誕生。この頃、文芸創作熱高まるのはええけど、大酒飲みだしたのはあかんよなあ。
29歳 郷土文芸誌「青年」に参加。定型俳句を主に作っていた。この頃、荻原井泉水主宰で自由律俳句誌「層雲」が創刊。しかし翌年、わしゃ当分、文芸なんかやらんのじゃと、文芸からの離脱宣言。で、これが、いつまでかなあと思ってたら、その次の年には舌の根もなんとやらで師匠の井泉水に句を送るは、個人誌「郷土」も創刊するはで、バリバリ、文芸活動してるやないかぁ!でも遠ざかるなんて何があったのか。家業に専念するつもりだったのか。
32歳で師匠の井泉水と初顔合わせ。
34歳 この年はまた激動。「層雲」の俳句選者の1人になるも家業は倒産。ろくでなしの親父は家出(おい!)兄弟は離散し、山頭火も夜逃げ同然に妻子と熊本へ。そして、古書店雅楽多」を開業。この店は後に額縁店となる。
1918年山頭火36歳の時、また悲劇が襲う。借金に耐え切れず、弟二郎が自殺。翌年、行き詰まり、単身で上京し、セメント試験場でアルバイト。翌年、妻と離婚。一ツ橋図書館で勤務。40歳で東京市事務員を神経衰弱で退職。働く意志はあれども続かず。
41歳、関東大震災で避難中、憲兵に拉致され巣鴨刑務所に留置って酷すぎないか。
元妻のもとで居候に。42歳 酔っ払い山頭火は進行中の電車の前に飛び出し、急停車させる。死のうと思ったか山頭火。一歩間違えば吹っ飛んでいたその身柄は報恩寺に連行され、禅門に入る。
大正15年(1926)小豆島にて先月のポエカフェ詩人、尾崎放哉死去。放哉とくればもう山頭火しかない。自由律俳句のツートップなのだ、この方たちは。
放哉の生き方などに共鳴した山頭火は、行乞行脚の旅に出る。
49歳 ガリ版で個人誌「三八九」を編集発行したのはええけど、泥酔で留置所に拘置されてたらあかんやん!この年もまた元妻のとこへ滞在してんねん。別れはしたが、見捨てることの出来ん奥さんやなあ。山頭火がやってた店まで自分が引き継いで、情が深いお人や。
53歳 カルモチンを多量服用し、自殺未遂。55歳 不退転の覚悟で下関の材木商店に就職するも4日で辞めるってどないやねん!分からず屋の主人に癇癪を起こしたらしい…
山頭火に縁のある数字をと言われたら15をあげるべし。生まれたのが明治15年。放哉が死んだのが大正15年、山頭火が亡くなったのが昭和15年なのだ。明治から昭和まで放浪し、最後は心臓麻痺であった。
さて、俳句が山のようにテキストにあんねん、気合い入れていきますよ。

陽だまりを虫がころげる

これ、急ブレーキ感出てますなあ。虫がすんごい坂を転げてる、そんな映像が浮かんでくる。あるいは、人によっては太陽が虫を追っかけてるかも。
山頭火の句はスパっと切って、読む者の想像を膨らませるのが上手い。1から10まで全部言わず、例えば7くらいにして、後は読者のイマジネーションに任せるのだ。
次のなんか、もうストレートすぎて深読みできん(笑)

水音をさぐる

え?これで俳句?と言いたくなる短かさ、シンプルさ。でもこれ、音をさぐるん?疑問を不意に抱かせる巧みさ。

ふるさとの言葉のなかにすわる

私にとってそれは広島弁である。友の広島弁を聞いてるだけで癒されていたことをおもいだした。
山頭火は同じ言葉の繰り返しの使い方も素晴らしい。

つぎつぎに力をこめて力と書く

これ、晩年の句やねん。力を重ねることで重量感は出るがちぃともしつこくない。辞世の句がまた洒落っ気があっていい。

もりもりもりあがる雲へ歩む

もりが3回だよ。三段跳びのような軽やかさ。雲は天国かそれとも…

近代詩でリフレインの詩だけ集めたオムニバス詩集も面白いかも。
まだまだあるでー

窓あけて窓いっぱいの春

でっかい窓、沢山の窓。色んな窓が頭に浮かんできて楽しい。

秋風あるいてもあるいても

これなんかスパっと途中で見事に切ってるからだから、何!と思わせて上手いんだよなあ。

1人で放浪して、死や寂しいといったネガティブな単語がよく出てくるのに何故か暗さを感じさせないのは山頭火のキャラクターなのか。人一倍悲しいことに耐えてきた芯の強さなのか。
酒やめておだやかな雨
という句があるかと思えば同じページに
酒がやめられない木の芽草の芽
とある…どっちを先に作ったか知らんけど、山頭火さん、あなたに禁酒は無理だと思います。(笑)
山頭火の切れ味鋭い句は突っ込みたくて、ああ面白い

風ふいて一文もない

この脈絡なさげな、一句。あんたのお札を風が吹き飛ばしたとでも言うのでしょうか(笑)
ユーモアも切れ味もこの短い句にぎゅっと仕込んであるのが憎たらしいわ(笑)
山頭火の日記も読みたい今日のポエカフェでした。