ポエカフェ「ケストナー」篇

第67回目の本日は喫茶伯剌西爾にて初の外国人が主役として登場なのだ。その名はエーリッヒ・ケストナー。1899年ドイツのドレスデンにて産声を上げた詩人であり作家である。
父は革職人であったが、商売気質はあまりなく、トランク工場の低賃金労働者となる。父と母の間の相性は良くなく、母曰く愛のない結婚生活だったと。なして結婚したん?と突っ込みたくなるが、母は息子を溺愛。父母の仲の悪さは息子にいかなる影響を与えただろうかと先を急ぐ。
ケストナー5歳の時、収入の少ないケストナー家では間借り人を置いていたが、たいていは学校の先生で、ケストナーは先生になりたいと淡い夢を抱く。
8歳の頃、母と二人で徒歩旅行に行く。親父はどうしたーーと思えば、可哀想にいつも留守番だったそうな・・・
クリスマスには息子のとりあいで気まずい雰囲気って・・・あかんやろ、そんなん!子供は物じゃないねん。
15歳ー1914年第一次世界大戦始まる。教員不足で教員養成所予備クラスに行っていたケストナーも実習生として教壇に立つ。が忍耐強く、愛情深く子供たちとむきあう自信もないし落ち着きもないと教育者に向いとらんと早々と悟るケストナー。この養成所時代から詩を書き始め、大学時代から本格的に書き始める。
23歳ー教授の誘いを受け、ライプツィヒ大学に戻る。助手の給料だけではやっていけず、サンドイッチマンなどの仕事もする。
そんな中、インフレ時代を皮肉ったエッセイを書き、掲載されたのが縁で新聞社に学生の身分のまま勤務し、ジャーナリストの仲間入りをする。
新聞社に勤務した詩人ってなんか多いような。啄木、薄田泣菫小熊秀雄とか。
27歳の時も収入が安定していたので、いつものように(哀れなオヤジ)父親を留守番にして母と北イタリアからスイスを旅行。このくだりでケストナーザコン説が会場内のとある一部(主に私)で沸き起こる。
29歳で第1詩集刊行。タイトルは「腰の上の心臓」って変わったタイトルやけど、これが1万5千部のベストセラー。
E・ヤーコプゾーンの強い勧めで児童文学を書き始める。子供には教える自信がないと教員にならなかったケストナーが出版人の勧めで児童文学を書き始めるのだから、世の中は摩訶不思議で面白いのだ。
30歳で「エーミールと探偵たち」を出版。第2詩集もヒットし、ハイネ以来の人気を博す。ワイマール時代が終わり、ナチ政権となって、友人が亡命を勧めるが、首を縦に振らなかったケストナー
1933年5月10日の焚書事件で唯一、自分の本が焼かれるのを目撃していたケストナーの心情や如何に。執筆禁止を受けていたケストナーだが、外貨不足に悩むナチ政権は国外での出版のみ許可する。
40歳の1939年、第二次世界大戦。作品発表の場もなく沈黙を守るしかなく、友人との連絡も殆どなくなりうつ気味になるケストナー
自分あてに手紙を書くほど孤独感満載なケストナーは自分の詩が戦場でさえコピーされて回し読みされていたとは知る由もなかった。
平和主義を貫き、ナチを復活させないために警告し続けたケストナー
愛人がいて、子供を認知したとかさらっと年譜に書いてあったんだけど、やはりそこはしっかりと読んでしまった。さ、詩へいこう。
散文詩がテキストにも沢山のっていて、朗読は皆、長いものばかり。
わたしも当たったのをぱっとみた瞬間、ながっ!とブーイングをしてしまったが、読んでみると何故かぴっぽ師匠から、私に合ってますねとほめられたのかよくわからないお言葉を頂戴する(笑)
その詩とは「男声のためのホテルでの独唱」一言でいえば男が降られた女に対して書いた詩で、少しの皮肉と少しのユーモアと少しの願望と少しの相手の幸せを祈る本音が詰まっている。

必ず君がうまくゆかないようにと

と本音をちらり呟いたかと思えば最後の行で

君が幸福になるように いささか祈ろう

と複雑な心境を覗かせ、皮肉っているのがなんともいい。

難しい言葉でごまかすのではなく、素直にどっちも本音なんだろうな
と思わせるくらい平易な言葉で読むものをぐっと自分の世界に引き込んでいく。

「顔のうしろは誰も覗かない」もいい。泥棒でさえもこの財産を盗む
ことはできぬとある。それはどんな財産かというと、忍耐、ユーモア、
親切もまた然りで、その他のすべての気持ちがそうだと。
大事なことをわかりやすい言葉でさらっと伝えてくれる詩だ。
「堅信を受けたある少年の写真に添えて」という詩は、読んでいて
モラトリアムという単語が浮かんでしばし、頭の中から離れなかった。
短い詩だけど、次のもいい。
「臆せず悲しめ」
悲しい時には悲しめ! と一行目でがつんときて
のべつ 君の霊魂の見張をするな!とくる

霊魂を心と訳してあるのもあるらしい。この詩なんか特に霊魂とあるか
心とあるかで感じ方も全然違ってくるだろう。
シンプルで強烈な詩である。
霊魂の見張なんて普通でないよ。
映画のワンシーンに使えそうな散文詩もある。
「たまたま物干し場に出遇って」
この詩で特に気になる表現が
風が洗濯物と喧嘩した 

これって父母の仲の悪さを皮肉っているのかなと思ったりもした。
この詩に母は出てくるが留守番ばかりさせられていた父はやはりというか
出てこないのだ。
もう一つ映画で使いたくなるような詩が「合成人間」
詩といってもいいし、星新一が得意としたショートショートのような物語とさえ言ってもいい。
この詩にも喧嘩という単語がでてくる。詩に喧嘩っていう言葉はあまり使わないような気がするんだけど気のせいだろうか。
合成人間には自己の発展がないでしょうとあり、そうだそうだと読んでいたら、次の行であっさりそれこそまさに長所ですと切り返すこの上手さ。

即物的な物語詩」も映画の一場面を切り取ったかのような光景を描く。
ステッキや帽子が失くなるように彼らの愛は突然失くなった

これ、ドイツ人にとってのステッキや帽子って毎日同じものを大事に使うという深い意味あいがあるんだよね。隣の人が教えてくれたから、一段と興味深くこの詩を読むことができた。
「略歴」という詩の
地球の動脈から血が流れた この表現がすごい。

小さな詩作工場を一つ持っていると。素敵な表現だ。

自分のリュックサックは自分で背負わねばならぬとあり

リュックサックは大きくなる 背中は広くならぬ

この一行が意味深い。古本を買いすぎた時を浅はかにも思い出す

「母親が決算する」もうタイトルからして意味深すぎである。

母親になりきって書いているとしか思えないのだが、これ、何重にも
ケストナー得意の皮肉と仕掛けが潜んでいるようにも思える。
母親が決算するといいつつ、実は違うんだよと。
この詩にも親父はでてこない。父権復活せよ(笑)

テキストにはでてこない他の詩にはどんな皮肉がこめられているか
俄然、興味がわいてきたぞ