第68回今度はリルケ篇だよん

先月、ケストナーに続いて本日はオーストリア出身のリルケはんどす。
1875年当時ハンガリー領のオーストリアに生まれたリルケ。父は鉄道会社に勤務。母は富裕な商家生まれで虚栄心が強く、貧乏な夫に幻滅って、あんたねぇ、そりゃないやろ!
このおかん、色々とパンチの強いお方で、早逝した長女の代わりにリルケを5歳まで女の子として育てる・・・え?もっかい言うて・・・これが夫が星飛馬の親父みたいな人やったら絶対そんなことならへんかったやろな。
7歳で上流ドイツのぼんぼんたちが行くプラハのピアリステン(教育に従事するキリスト教カトリック教団)小学校へ入学。
9歳ー父母別居。父に引き取られる。リルケにはそれでも父母一緒がよかったのかもしれないが。
11歳ー父の望みでザンクト・ペルテン陸軍幼年学校に入学。そこでの恐怖と屈辱の生活は一生リルケのトラウマとなる。果たして父に引き取られて良かったのだろうかとしばし茫然。15歳で体調崩し、陸軍高等実科学校を休学し、16歳で退学。リンツ商業専門学校へ入学。
1892年、17歳のリルケ君は年上の女教員はんとウィーンへ駆け落ちしたそうな。退学になり、この人とは離別。勿論、親父はプッツン!!資産家の伯父に引き取られ、私宅家庭教師をつけられたそうな。
多分、この家庭教師は男でしょうね(笑)
激情家のリルケはまた懲りずに恋愛をする。今度はオーストリア砲兵士官の娘ヴァリーさんだそうで、この頃から詩を書き始める。書くだけでなく発表するってのがそこは偉いと思う。
19歳 処女詩集「人生と小曲」刊行。
20歳 ギムナジウム(日本の中高一貫校に相当)卒業資格試験に優秀な成績で合格。ギムナジウムってケストナーの小説やら萩尾望都の漫画にもでてくる。
でもってプラハ大学に入り、文学部で哲学・ドイツ文学・美術史を学ぶ。
12月には早くも第二詩集「家神奉幣」刊行。あぁ、なんて難しい熟語やねん。翌年、法学部に移るって私じゃまず考えられへんわ(きいてへん)
個人雑誌「ヴェークヴァルテン」(にがよもぎ)を3度発行。
2号は戯曲でこれがプラハドイツ国民劇場で上演されるって凄すぎる。
22歳、さて恋多きリルケさんですからそろそろまた恋に落ちてしまいます。お相手はなんと戯曲家のサロメミュンヘンで出会ってしまいます。
詩人ヤコプセンを知り、激しく傾倒。この人、これだーと思ったら一途で激しい性格のようですね。集中力があるということでしょうね。
そんなリルケはんですから惚れたらとことん。サロメを追ってベルリンに移ります。でもふられてしまいます。ストーカーはあかんよ(笑)
23歳の時にイタリア旅行ってこの兄ちゃん、あちこち旅行してるやん。
24歳の時は北イタリア、ウィーン、プラハなどにも行ってるねん。
でふられたはずのサロメ(もうこの時には他の方と結婚してはります)夫妻とロシア旅行・・よう、サロメの旦那はん、許してくれたなあ(笑)
モスクワでトルストイと出会います。その後、サロメとロシア研究に没頭。ドストエフスキーを読んで衝撃を受けたりしながら詩集も次々刊行。
25歳、再びサロメとロシア旅行。よき相棒ってことでしょうか。
そしてベルリンでロダンの弟子クララと親交ができる。
26歳でクララと結婚。北ドイツに住み、その年に長女が生まれる。戯曲「日常生活」はベルリンで上映されるも不評って・・面白くなかったってこと??
27歳、なんでリルケがあちこち旅行に行けたかわかりました!父上の援助があってん。でもこの年に打ち切られてん・・・家計が困窮って当たり前やわ!でも父上、よく援助してましたなあ。やはりかわいい息子の為ってことなんでしょうか。
それでもリルケロダン論執筆の為、妻子を実家に預けて単身、パリにでて、ロダンに会ったりして頑張るのだ。
28歳ー「オーギュスト・ロダン」刊行。
30歳ー秘書のような形でロダン邸に寄宿。与謝野晶子ロダン邸に行ったことあるんだよね。
31歳も激動の年。父死ぬ。そしてロダンと決裂。これは女性関係ではないかという意見あり。セザンヌの絵画に傾倒し研究する。
リルケが凄いのは傾倒した人のことをもうとことん研究し、それが彼の詩に生かされてること。
セザンヌの時も絵画を見に展覧会へ日参するというのが並ではない。
好きな物をとことんやる、一つのことをとことんやることの大切さを教えてくれる。
さてこのあたりから、またお時間がなくなってしまい、年譜は各自宿題となりましたのでおもろいとこだけ拾っていきましょう。
あれだけトラウマになっていた陸軍学校。時代の渦は戦争へと彼を巻き込んでいく。41歳の時、3週間の軍事訓練の後、戦争資料室勤務。でも文化人らの請願で兵役解除って、すごくないか、リルケ人気?リルケだけでなく皆解除してやれよってことだったのかな。
42歳、とある同人が大好きなポール・クレーの隣人となる。私も大好きな画家の隣人になってみたいもんです・・・
45歳、日本の俳句を知り、俳句を作り始めるっていうから、まぁ、好奇心旺盛なお方やねぇ。
46歳でポール・ヴァレリーの詩に出逢い、孤独で信頼できる友も芸術家もいなかったリルケの大きな光となる。
リルケは51歳で永眠。

ファネット・クラヴェル夫人に というのが一番好きかなあ。

沈黙。沈黙すること深き者は
言葉の根に生き当たる。

最後の2行もいい。
跡かたもなく消え去るために
言葉は人に与えられた。

自分が朗読した詩というか抄もいい。初期詩集にでてくる。

日常の中で困窮している貧しい言葉を、
人目につかぬ言葉を私は大へん好む。

ところどころ示唆深くていいのだ、とても。

長いのが多くてちょっと大変なんだけど、でも初期のより晩年のほうがわかりやすかった。というととある方は、いや初期からすいすい読めたなんておっしゃるから、私はまだまだなのだ。