高階杞一ポエカフェ、誕生日のリターン篇

今度は御本人が登場しない、高階杞一篇なのだ。あぁ、生きてる詩人をやるなんて滅多にというか殆どない中で高階さんは早くも2回目。基本的に死んでる人しかやらないポエカフェなのだよ(おい)そりゃね、明治、大正の詩人でまだ生きてたらえらいことやん(はよいけっ)
1951年大阪生まれの高階杞一。なんとポエカフェ開催本日、9月20日が誕生日。あぁ、来て頂きたかったねぇ。
小学校5年の時に詩の教室(「きりん」の会)に通うようになる。だが13歳に頃は漫画家になりたいと漫画に熱中していた。漫画も描く詩人といえば竹内浩三がいた。
16歳、この頃、ギターで作詞作曲に夢中。20代半ばまでに100曲近く作る。18歳の時にはNHK番組に「春の日」が入選ってえ?漫画も描いて詩も書いて作詞作曲もやるってどんだけ多彩な才能やねん!
17歳、ラグビー部に所属。目の負傷で網膜剥離の手術。その入院前に次年度の国語の教科書で三好達治の「いしのうへ」(漢字でぇへん)を読み、感銘を受ける。私も国語の教科書だけ、いつも先に読んでたな。他の科目なんざ開きもせぇへんけど。
19,20歳あたりから創作、デザイン全般に興味をもち、小説、童話を書き始める。同人誌で詩やエッセイを発表する。
24歳、大阪府立大学卒業。日本万国博覧会記念協会に造園技師として就職。
25歳 詩誌「パンゲア」創刊(10号で終刊)記念レコードを制作。限定200枚の「白いレコード」
27歳 大阪シナリオ学校入学。校長の杉山平一と初めて出会う。
28歳 自分を詩作へと導いた女性と結婚。木野まり子と詩誌「青髭」創刊。
29歳 第一詩集「漠」(青髭社)刊行。藤富保男に帯文かいてもらう。
翌年、藤富保男荒川洋治に初めて逢う。
32歳 初めて書いた戯曲「ムジナ」で第一回キャビン戯曲賞入賞。うぉっ、戯曲も書くん・・・すごすぎる。
36歳 交通事故で前歯6本折り、唇15針縫うって・・・痛い、痛すぎる。
39歳 「キリンの洗濯」でH賞受賞。9月長男雄介誕生するも難病を抱え、一年に5回もの手術。
42歳 まどみちおさんと初めて逢う。大阪シナリオ学校講師に。
43歳 9月わずか3歳で雄介死去。
44歳 1995年1月17日5時46分阪神淡路大震災。大きな被害はなし。
「早く家へ帰りたい」(偕成社)刊行。
61歳(2012年)「いつか別れの日のために」刊行。
萩原朔太郎記念「小学生の詩」コンクールの選考委員に。
この年、ぴっぽという性別不明の方からいきなりメールでラジオで「いつか別れの日のために」を紹介すると連絡がくる。誰やねんと迷惑メールか?と削除していたらと思うと、よくぞ、高階さん、削除しないでくれました!削除していたら、その年の12月のポエカフェのゲストとして来られるなんてこともなかったのだ。あぁ、あぶないあぶない!
そしたら夏葉社の島田さんとも会ってなかったわけでそうなるとあの「早く家へ帰りたい」の復刊もなかったかもしれん。
62歳 「いつか別れの日のために」で三好達治賞受賞。ずっと絶版だった「早く家へ帰りたい」が夏葉社より復刊。
63歳 「千鶴さんの脚」で丸山薫賞受賞。
64歳(2015年)第14詩集「水の町」刊行。

では詩にいきます。
まずは「漠」
わたしのなかに穴がある

遠く
寂しい人よ
君も一度訪ねてきてくれたまえ

穴となると暗いイメージを抱きがち。だが、読後、真っ暗闇の絶望感満載のどん底に落とされるかというとそんなこともない。でもちょっと深く考えたくなるような。時間に追われてばかりじゃなくて、思考という穴にもぐる時間も作りなさいと言われてるような気がします。

「春の食卓」この詩はぴっぽさんが言うようにケストナーの詩を思い出させる。
最後の行がいい

別れていくまでの
長い長い朝食をした

「家には誰も」
タイトルからして意表をつく。誰もで止めちゃうんですよ。でもいなかったということかなと想像できる。そこをあえて書かない。

家には誰もいなかった
タンスにも
屑籠にも冷蔵庫にも
いなかった

一行目はうん、うんと読んでて、次で目が点となる。え?タンス?でもって屑籠?!こんなとこに人がいたらそれはそれで怖いんだけども、この場所の面白さが孤独感を強めているけど暗さを強調はしていない。
というのもいなかったとの食事がはじまるっていう最後の行でもわかるけどむしろ孤独を喜んでいるというか、いや、受け入れているのか。
孤独がむかえてくれると書いてしまいそうなところをいなかっただけがいて迎えてくれるという表現が読むものを惹きつける。

「キリンの洗濯」
読みやすい。難解な言葉を使わず、へぇ、キリンの洗濯してるんやとほほえましい日常が思い浮かぶが誰もキリンなんか洗濯したことないやんと内心思いながら、ついつい、うなずいてしまう面白さ。
キリンは何を意味するんだろうと深読みするのも面白いし、もう単純にそりゃキリンなんか家にいれてたら大家さんに怒られるがなと素直に楽しむのもいいんじゃないかと思ってしまう。2日に一度キリンを洗うという。
2日に一度、衣服以外にも洗えてるだろうか。ちゃんと心の洗濯できてるかななんて思いを巡らしながら。

どこかひねっていて面白い詩が他にも沢山ある
「ゆ」
ゆうゆうと
夕焼けは焼けて
なくなった

かるたに使いたくなるようなシンプルさ。夕焼けは沈むんじゃなくてなくなるのかとちょっとしんみりしたくなる。でも最後に別の焼けているところを探しにいくってのがいい。

これも面白くて気に入ってる
「ど」
ドーナツの穴のとこだけください
と言ってるようなもんだな
君のぼくへの注文は

無茶いうなよとやんわりとでもぐさりと刺す痛快さ。
ドーナツの穴だけくれよなんて上手い表現でもうここだけで
参りましたとタオルをリングに投げたくなる。

「早く家へ帰りたい」この本は決して電車の中なんかで読み始めないように。この詩集の背景を知らずに読みたかったという声もある。
全てを知ってから読むのと先入観なしに読むのとはかなり印象も違ってくる。それも踏まえた上で敢えて、でも、この本を読んでみてほしい。
万人がいいという詩なんてどこにもないと思う。
賛成と反対意見、必ずあるはず。それでいい。
反対意見を聞くのも貴重だと気づかされた。自分の立場、相手の立場、そうか、そういう見方もあるなと。
自分が当事者だったら・・・うん、そうかもしれないと。
自由に意見をかわせるポエカフェの雰囲気がいい。
じゃ、もし自分が詩人で同じようなことがあったら果たしてどうしていただろう。書いていたか。書かずにはいれなかったか。それとも一生封印できたか。いや、そんなカッコいいことできるか。書かないことのほうがしんどいのかもしれない。書くことで味わう地獄、書かないことでつきまとう地獄。
何度、読んでもいろんなフレーズでぐっとこみあげてきそうなこの詩を時には自分に置き換えてじっくり、とっぷりと考えなさいと今回のポエカフェは教えてくれている。

「春`ing」この詩について前日、2時間も思考にふけった若き詩人S君。
ポエカフェが終わった後の話も聞きたかったのだが。あぁ、レポートお願いしますよ。
一つの詩についてそんだけ考えさせられるなんて、とても素敵なことだなと思う。そういう詩を書ける高階紀一という詩人の凄さ、S君の素晴らしさ。
この詩がまたどこか人を食ってて面白い。
食事の用意ができたよと告げにいこうと最後いうんだけど、冒頭で
もう20年もあの人は帰ってこないとでっかい謎を吹っかけている。
どうして学校でこういう面白い詩をとりあげないんだろう。もっとじっくり詩を学ぶ時間を取らないんだろう。いや、学校で出来ないんなら自分でじっくり考えればいいんだ!

「準備」
ストレートに伝わってくる。経験をする、自分で学習することの大切さ。

落ちることにより
初めてほんとうの高さがわかる

何事もやってみなければわからない。失敗してみなければわからん。

中盤のこのくだりもいい

こどもたちよ
おそれてはいけない
この世のどんなものもみな
「初めて」から出発するのだから

やったことないからと自分は逃げていないだろうか。どうせできないと
やってもないのに諦めていないだろうか。

「夕焼け」この詩はやはり最後の行に釘付けになる

でも
空を行く鳥と
木々と
悲しみをかかえたものにしか
神さまは見えない

「戦争」
この最後の行がつまりは全てである。戦争をなぜしてはいけないかという答えにここを読めといいたくなる

爆弾が落ちてきて
それらを一瞬のうちに
消す

「答は空」
子供と親が会話をしている。この世で一番のお金持ちは誰だとパパは聞く。答は空だよと子供に教える。もうそれだけで素敵な詩で心を突き動かされてしまう。世の中、きれいな物ばかりではないけれどでもまっすぐ伸びてほしい、そんな純粋な気持ちになる詩。