ポエカフェ76回は山村暮鳥でやんす篇

山村暮鳥は2回目の登場とのこと。この詩人すら一発で変換しないこのパソコン、どやねん。
さて暮鳥、1884年明治17年)1月10日に群馬(Pさん曰く、近代詩の故郷なり)の農家に長男で生まれる。群馬というのは暮鳥、萩原朔太郎、高橋元吉、萩原恭次郎、伊藤新吉、大手拓次とまぁ、ずらり豪華メンバーがいてはるのでぴっぽさんが近代詩の故郷は群馬!というのもむべなるかな。そう考えると群馬に行ってない自分がなんとも勿体ないではないか、来年は群馬だ群馬!

さてこの暮鳥はんの本名がもう面白い(おい)志村八九十。これではっくじゅうと読むんだそうな。こんなん絶対、先生読めへん。あだ名ははくちゃんで決まりやな。その後7人の弟妹が生まれる。志村家に婿入りしたが、入籍されていなかったため、暮鳥は祖父志村庄平の二男、志村八九十として届けられた。兄弟はアサ(明治21年4月生)、リウ、仁才、雪江、凉、百合子、明石。本名の八九十の由来については、「丈夫な子に育つようにと鬼子母神に鬼十とゆう名前をつけて貰って、普通ハックジュウと呼ばずにキジュウと呼んでいた」(萩原進編『山村暮鳥』p12)ということらしい。「八九十」も長寿の意味だろう。仁才、明石も面白い名前だよなあ。それぞれに深い意味をこめて名付けているのだろうね。
5歳の頃、祖父母と同居してたのだが、オヤジが祖父(庄平)との不和により千葉に出奔。母も後を追う。その間、暮鳥は前橋の伯父夫妻に預けられるって連れていかんかったんかー!弟や妹はどないしてん!
後に父母が父の郷里の西群馬郡元総社村へ帰ったので木暮姓となる。まだ5歳までしか書いてないのに既に波乱万丈な人生・・・7歳の時、祖父死去。父母と志村家に戻る。やれやれと思ってたらそれもつかの間、11歳の時、父、繭の仲買で失敗。夜逃げ同然で千葉県佐倉に移り、鼻緒zの高等小学校中退。社会に出ることを余儀なくされる。波乱万丈すぎて、ここまで詩人の詩の字もでてこーへんわ。ただ暮鳥の文学的資質が培われたのは伯父夫婦に預けられてからのようである。この伯父が神官で教養ある人だったようだ。
1898年14歳、病をえて、小作農家になっていた父母の元へ帰る。山村少年は早く大人になりたかった。翌年、15歳やのに年齢を2,3歳上にごまかして、堤ケ丘尋常小学校の臨時雇い教師となる。早くから出稼ぎしてたから大人っぽかったのかもしれんな。って今じゃ考えられん。
17歳ー家の近くの松山寺で漢籍を学んでいたが、前橋の聖マッテア教会で英語夜学校が開設されたのを機に前橋に通う。また高崎聖公会の日曜学校でミス・ウォールにも英語を学びキリスト教に惹かれていく。
18歳、聖マッテア教会で洗礼受ける。ミス・ウォールが青森の教会に転任すると知るや教職を投げうって青森へ行き、彼女の手伝いをする。ってすごい行動力やけど、幼少から両親に振り回された暮鳥にしたら何でもないことなのかもしれないなあ。自分の食い扶持は自分で稼ぐしかないと。19歳になると東京築地三一神学校へ入学し詩や短歌の創作開始。翌年、木暮流星の名で「白百合」に短歌発表し、2年間続ける。

21歳ー世の中は日露戦争。暮鳥も徴兵され北海道で入隊。満州に渡る。22歳帰国後に聖三一神学校に復学。「築地の園」へ新体詩「播種者」発表。23歳ーまた新体詩「白樫よ」を発表。短歌から新体詩に興味が移り、蒲原有明三木露風前田夕暮らに近づいた。
24歳(1908年)で聖三一神学校卒業。秋田の聖救主教会にキリスト教伝道師(牧師)として赴任。「秋田魁新報」へ文語詩発表。その後、1年間で70篇もの口語自由詩を発表。25歳になると吹雪の御嶽山で40日間瞑想。神の声を聴き、天上に十字架を見たと。あたしゃ、吹雪って聞くだけであかんわ、ぶるぶるぶる。その年の12月仙台基督教会に転任。26歳ー自由詩社同人となり、「早稲田文学」などに作品を発表。この頃から山村暮鳥という筆名を使用。
1909年に昭和女子大学(後の日本女子高等学院)の創設者としても知られる人見東明より「山村暮鳥」(「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味)の筆名をもらう。この人の名前っていい名前だよなあ。
近代詩人の中でもいい。この頃、教会とけんか。ボードレールの詩集1冊のみで去る。暮鳥はキリストは人間であると考えていた。苦悩こそ救いだと。その独自のキリスト教的考えは若い人にはカリスマ的存在感となっていたが、年配の方たちには「こいつ、危険!」と思われたのかもしれない。
27歳茨城の水戸聖公会赴任。
28歳、福島へ移る。29歳ーボードレール詩篇を「詩歌」に発表。恩人の土田牧師の長女富士と結婚。土田家の養子となる。
ニーチェなどの哲学、ウパニシャッドなどの古代神秘思想に傾倒。30歳ー文通で親交深めていた朔太郎、犀星と人魚詩社設立。その後、上京した時に既に詩壇の大スター白秋や朔太郎に初めて会う。白秋主宰「地上巡礼」にも10月から登場し、一躍、表舞台に躍り出る。この年に福島の農民詩人、三野混沌と知り合い、生涯の親友に。

31歳ー「藝語」をもって詩集「聖三稜玻璃」の詩を発表し終える。圧倒的に革命的な詩群を書いているという自負が暮鳥を調子に乗らせた。天狗となった暮鳥だが、この詩集の評価は厳しかった。一部の共感、賛美を送った詩人はいたが余りにも前衛、尖鋭的だった為、悪評ぶんぶんまるで、四面楚歌状態の山村さんなのだった。この詩集の序文にて犀星は彼をかばう。犀星宛にも暮鳥の詩はあかんと非難の手紙がきてたくらいだ。それくらい反響はあったということなんだよね。箸にも棒にも掛からぬ詩集ならば皆、沈黙して放置するだろうから。
犀星、序文ではかばうも詩誌「感情」を朔太郎と創刊した際には暮鳥を誘わなんだ。彼らもちょっとこいつは一人よがりやと感じていたようである。
「感情」創刊から3か月後に初めて犀星と会う。「ボードレール散文詩十四章」訳詩などを「感情」へ発表。しかし「上毛新聞」に前橋の山崎晴治から誤訳の指摘、批判が掲載され、暮鳥卒倒。フランス語は独学だった。謝罪記事を出す。踏んだり蹴ったりの暮鳥、33歳になると新詩法を放棄、平明な表現に転向。
34歳、茨城、水戸ステパノ教会へ転任。結核菌もらい、大喀血。病気保養で千葉の北条町へ。
35歳、本井商羊の招きで妻子を東京の養父へ預け、2週間ほど京都、大阪、奈良へ旅行。奈良の仏像に感銘受ける。茨木大洗に静養に赴く。聖公会から12月までを休職扱い。「治療しなければクビ」という非情な通知届く。
9月喀血続くが暮鳥頑張る。「赤い鳥」と双璧なす童話雑誌「おとぎの世界」の選者となる。そしてブラックユーモアあふれる「ちるちる・みちる」をなんと4日で完成させる。
36歳、三野混沌が山村家を迎えるべく菊茸山へ新築した家に移るが、電気もない掘っ立て小屋みたいな家でしかも結核患者ということで下山しろと麓の住民からクレームがきて敢無く下山。こんな吹き曝しの家で治るどころか却って悪化するわー!と混沌を恨みつつ次に進む。暮鳥への経済援助を目的とした「鉄の靴」会発足。今でいうクラウドファウンデイング。それからも意欲的に童話集、小説の刊行続けていく。
39歳の時には病臥の日が年の半分以上もあったにもかかわらず。40歳、8月、以前ハガキを送った草野心平が訪問。12月8日永眠。
鳥の詩はとにかくリズムがよい。

「絶叫」
石を打て、
油を流せ
家を焼け。
妻子が何だ。

山村さん、いっときだけ過激派でした。これ、まだ結婚してない頃やのに妻子がなんだと喧嘩うってます。家を焼けなんて放火犯と間違われちゃいますよ、下手したら。でもすごいトントンリズムいいでしょ。
内容には納得できなくても(笑)

そうかと思えば「冬の辞」の最後の行
雪空はぴあのを打つ

同一人物と思えませんねぇ。どんな表情で暮鳥はこの詩を書いたのでしょう。もうひとつ、ジキルとハイドかっていうくらいまた極端に過激なやつを。「
「囈語」
竊盗金魚(せっとうきんぎょ)
強盗喇叭
恐喝胡弓
賭博ねこ

誘拐かすてえら

これもほんと歌いたくなるようなテンポのよさ。でもこれ、私が町中で歌ってたらお巡りさんくるがな。替え歌にしたくなるなあ。こういうのって子供はすぐに覚えてしまうけど、こんなん、覚えたら、親は不安ですよね、ま、漢字の勉強にはなると思うんやけど。こんなん書いてたらそりゃ、犀星にも苦情の手紙くるわな。
さて気を取り直してと。有名なのいきましょ。でもこれ書くの面倒やな・・・いちめんのなのはなが3連の冒頭に各7回もでてくんねんよ!
「風景 純銀もざいく
いちめんのなのはな→7回リピート
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

こんな感じで3連あるのです。目のテストされてるんかと思ったわ。これ、ちょっと面白いリズムで上手い人に朗読してほしいな。朗読向きの詩。これはお子さんにおすすめ。さっきのはあかん(笑)
この人、詩の引き出しをいくつ持ってるんやろというくらい時期によってがらっと変えてくる。
「人間の勝利」
人間はみな苦んでゐる
何がそんなに君たちをくるしめるのか
しっかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめ

頑固であれ
それでこそ人間だ

この詩の横に中島みゆきとメモしてたら、朗読した方も同じこと言ってくださっててびっくり。これを歌うのは是非とも長渕剛にお願いしよう。雨ニモマケズ宮沢賢治も言ってるけどこの2つの詩のインパクトの違うことと言ったら!貧乏にも病気にも誤訳のクレームにもくじけなかった暮鳥。

長いので「ちるちる・みちる」は引用しませんが、スパイスのきいた物語ばかりですのでおすすめです。これ、子供向けというより大人向けでもある。ハッピーエンドばかりの世の中じゃないんだよと現実を教えてくれる童話集。

「林檎」
ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ

俺は負けないよと聞こえてきそうな力強さがある。