ポエカフェ「パンと本」入門篇

御殿場でもポエカフェを!という御殿場古本市主催者の熱いリクエストで実現した今回のポエカフェはテーマが牧羊神ならぬパンと本。
古本市の場所でもあったロバギターさんで18時スタート。
古本市の終了後の開催とあって参加者は出店者も多く、だがしかしポエカフェ常連者たちも忘れてもらっては困るとばかりに埼玉、浜松などから参戦。
まずはパンの歴史。中央アジアから西アジアで小麦の栽培が始まったのが気も遠くなる紀元前15000年前から9000年前だそうな。そんでもって今から8000年〜6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原形とされてるそうな。無発酵でしたが、古代エジプトで恐らく、偶然、発酵パンが誕生。そして古代ギリシャへパン作りが伝わっていくとブドウ液から作られたパン種も使われるようになる。欧州からアジア、アフリカへパン作りは拡散していくのだ。
日本には、戦国時代に、鉄砲とともに伝えられたとされています。そこでいきなりP師匠から鉄砲伝来は何年?とクイズが出るが、そんなん覚えてもない私は頭の中でスルーする。いかにテストのための記憶が意味がないかがよくわかる。
その6年後イエズス会フランシスコ・ザビエルらが、日本でもパン作りを始めたが、キリスト教が禁じられてからは、長崎などで西洋人のために細々と作られる。
日本人のためにパンが作られたのは、1840年に中国で起こったアヘン戦争がきっかけで、徳川幕府は、日本にも外国軍が攻めてくることを恐れ、兵糧としてパンを作らせた。米飯では炊くときの煙が敵方にとって格好の標的になりかねず、それに比べ、固いパンは、保存性と携帯性の面で優れていた。このときパン作りの指揮をとった江川太郎左衛門は、「パンの祖」として知られる。
1854年鎖国解除、横浜、神戸など港町を中心に、パン作りが広がる。1869年、現存するパン屋で最古の「木村屋総本店」が銀座に開業。
トップバッターで下手くそな朗読を皆様に聞かせることになるとは・・・啄木のせいだ!(おいおい)
或る時のわれのこころを
焼きたての
麺麭に似たりと思ひけるかな

最後の行の熟語(麺麭)でぱんと言うそうな。ぱんなのに麺類の麺という字を使うんだねぇ。軍隊で用いたというから、ベースボールを野球というみたいに漢字にしましたってことかしら。
借金王、啄木。やはり上手いなあ。あんなベビーフェイスでこんな歌詠まれちゃあね・・・焼きたてのパンで何を人はイメージするだろう。悪いイメージをする人は少ないように思う。焼きたてのパンのような気分の時もあったんだね、啄木にも。
最初に朗読したのでもう気分は楽ちんなのだ。
与謝野晶子の「日曜の朝飯」という長い長い詩もテキストに。これ、親子8人が朝食にごはんとなぜかパンも一緒に食べる場面が歌われているのだ。日曜だけでも家族でゆっくい食卓を囲もうという和やかな雰囲気が出てていい。この頃はパンというのはおやつ感覚だったのではないかという意見もあり、なるへそと思ったなり。だって朝にパンなんか食べると昼までもたないんだよ。え?私だけかい?
及川均「荒野」はびしっと最初と終わりが良くてひきしまっている。
悲しみの棒を飲んでしまった。 といきなりがつんときて最後には
荒野に風はかえってこない。

でも私がこの詩で一番ひっかかったのは 悲しみの棒は堅くて痛い。の次の行。
その周縁をどうして人は往ったり来たりするのであるか。

まるで一度ミスすると連続でミスしてミスの周りをうろうろさまよっている私の慌てっぷりを笑っているかのようだ。失敗ではなくても不幸の連続、不幸の連鎖を指摘しているようにも思える。

北原白秋吉本隆明、左川ちか、堀辰雄なども出てきますがえいっと飛ばして富岡多恵子「水いらず」
2連目、3連目に繰り返しでてくるこのフレーズ、どうしてもここに目がぐいっと惹きつけられる。
あなたがわたしを
わたしがあなたを
庭に埋めるときがあることについて(3連目は庭に埋める時があって)

穏やかそうな詩ですごいこと言ってますね。まるでかわいがっていた犬や猫を埋めるかの如く。
だけどこれ、この夫婦が一緒にいるかけがえのなさを最後の2行でがつんと伝えてきている

あなたの自由も
馬鹿者のする話のようなものなのだ

一人になりたい時もあるだろうけどそんなのたまにだからいいんだよと言われてるような気がする。ほんとに一人になってごらん。孤独だからってね。
茨木のり子の詩と一緒に読みたい詩だ。

とある図書館でやった薔薇篇の時にもでた吉原幸子「パンの話」が今回、2回目の登場。この詩、好きだなあ。自分のやりたいことを貫こうとする強さがある。
まちがへないでください
パンの話をせずに わたしが
バラの花の話をしてゐるのは
わたしにパンがあるからではない

だれよりもおそく パンをたべてみせる

パン、食物がないと人は飢えてしまう。薔薇(詩)はなくても生きていける。でもそれでいいのかい、君はと問われているのかもしれない。

高田渡「合理化」タイトルからは想像もつかない過激な詩です

仕事に疲れたパン屋は旅にでますと穏やかに始まったはいいが(そうでもないか、不吉な出だしだな)

4連目
旅するパン屋は窓から飛び降り
小麦畑に火をつけ
重曹をばらまく 

もうこの先は話せないとあり、なんとこのパン屋が行方不明?とひっぱって
最後はどこかで偉いお役人になったとか?で締めくくるとんでもない詩なのだ。

4連目は放火やん!と思ってたら、1個1個作るのが面倒なんて一気に重曹ばらまいて作るよということらしい(ちっ)

原幸子の詩と同じような思いを抱いたのが石垣りんの「朝のパン」
3連目
私のいのちの
燃える思いは
どこからせり上がってくるのでしょう。

家庭を大事にした石垣りんがでも詩という生きがいも自分にはあるんだよと言っているようで。
この3連目が好きだけど4連目と最後の5連目もいいので一気に引用しちゃいます

いちにちのはじめにパンを
指先でちぎって口にはこぶ
大切な儀式を
「日常」と申します。

やがて
屋根という屋根の下から顔を出す
こんがりとあたたかいものは
にんげん
です。

にんげんというパンは朝食をしっかり食べることで作られていくんだよと。学校まで走りながらパンを食べるなんてことすんなよとも言っているようで。

ちょっと休憩に石川美南の短歌を一つ。
乱闘が始まるまでの二時間に七百ページ費やす話

これ、町田康の「告白」ちゃうかと指摘がありました。こういう調べたくなる歌って素敵ですねぇ。でもこれは調べたくない(笑)
さて町田ネタがなぜか続くんやけど
町田康の「民主的なパン屋」何なんでしょう、これ。書くのもめんどくさい(笑)
〃というマークをひたすら使いたい。1行目 民主的なベーカリーとありますが、それが3回繰り返されるのですよ。歌詞カードによくあるあのマークを使いたい!
最後の行なんて傑作であんまりやわが15回繰り返される16行構成となっております。あんたがあんまりやわ・・・
こういう面白いへんてこな詩を小学校の授業で是非ともやってほしいもんです。
パンの詩って女性が多かったような気がしますが気のせいですかね。最後のこれもいい。
平岡淳子「とけてゆく」最後の2行に君、何想う。
言わずにすませた
想いがとけてゆく

トーストにとけてゆくバターになぞらえたこの想いはどんな想いなのか。ちなみに言わずにすませた相手は娘。互いに言いたいことは山ほどあるだろう。
これを言ったら気分害すだろうなと想いを飲み込んだり。これは過去の言わなかったことを思い出しているのではという意見も興味深かった。今のこととは限らへんよな、確かに。
パンの詩があまりに多すぎて本好きの私としては本の詩こんだけ?とちょっとがっかりしながら本の詩へと突入。今度は本の詩だけでやってほしいなり。
生田春月「誤植」
このタイトルにどきっとくる方は文筆業、出版業です(笑)
最後の2行がいい。
この世界自らもまた
あやまれる、無益なる書物なるを。

この世界もまた無益なるものならば、何をそんなに迷うことがあろう。好きなことをやればいい。やりたいことをやればいい。いじめから逃げたっていい。命さえ捨てなければ。

西條八十さんは「書物」という詩を二つ書かれていらっしゃいまする。小学生の授業でやってほしい方を今回はピックアップ。
「書物」
雨がふるとき、風邪引いて すきな遊びができぬとき、
子供よ、書物を読みなさい

書物を読めば、友達は いつも出てくる、眼のまへに。

書物はいつぺん読んだらば あなたの心の奥深く じつと
そのまま残つてゐる
書物がくれる財産は、一生消えない、なくならない。

もう何もいうことはない。もう小学生に読んでほしい。詩の授業でこれをとりあげてほしい。それだけだ。
長田弘も「世界は一冊の本」という素敵な詩を書いている。
2連目
書かれた文字だけが本ではない。
日の光、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。

人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

4月23日はサンジョルディの日でしたっけ?あんな定着しない日を作るよりも長田弘西條八十の詩を教科書に載せてくれたらええねん。
最後はやはりこの人の詩で締めくくらんとあかんやろなあ。一箱古本市の鬼とでも呼びたいレインボーブックス氏の詩が素晴らしくて、忌々しい(笑)これ、テーマソングにして、誰か曲つけたらええと思うよ。

一箱古本市の詩」
窓の外
春の景色が流れてゆく
小さな電車はあの街へ
重い荷物抱え
これから出会える人を想えば
花が咲くように
胸に光が広がる

僕の読んだ本が
誰かに読み継がれていく
川のような本の流れが
どこまでも続きますように

いつか君が
くれた本も今日は手放そう
小さな電車はあの街へ
ページをめくればきっと
あの笑顔思い出してしまう
花が咲くように
胸に君が広がる

君の読んだ本が誰かに
また読み継がれていく
川のような本の流れが
どこまでも続きますように

この詩も詠み人しらずで学校の教科書に載せたらええわ。これのBGMはやはり美空ひばりの「川の流れのように」になるか。


御殿場で パンと詩を 噛み砕く