ポエカフェ春と夏どっち?篇

104回目の本日は一人の詩人を取り上げるパターンではなくてテーマ篇。
春夏の詩をどどどーーんとテキスト6枚です・・・
自己紹介で好きな季節を順々に発表。ま、春とか秋はやはり強いのよ。だがポエカフェ同人たちは一筋縄ではいかない。北海道の冬が好きですとか、細かく限定しているところが面白い。
トップはランボー「感覚」この詩の2行目にでてくる 
ちくちくと穂麦の先で という表現がいいなあ。
お次はヘッセ「花に水をやりながら」
夏がしぼんでしまう前に

世界がまたしても
狂気になり
大砲がとどろく前に

庭いじりといえば室生犀星がでてくるが、海の向こうで庭いじりといえばヘッセなのである。夏がしぼむという表現がいい。
第二次世界大戦を狂気と言い切るこの詩の強さがいい。

山村暮鳥「歓楽の詩」三半規管が鍛えられます、これを読むと・・・
ひまわりはぐるぐるめぐる

此の全世界がぐるぐるとめぐりはじめる
ああ!

あああああ!って言いたいのはこっちだよ、山村はん・・・1行目からぐるぐる回されて・・・最後にああ!って。でもこのああは感嘆なんだろうね、私は溜息をつきたくなっていたけども。これ、あまりにもぐるぐるめぐってるんで、悪酔いしそうなんだよねぇ。わたしゃ、暑いのは平気じゃが、このぐるぐる感にはやられましたわ。
このぐるぐるの壁を越えたものにだけ歓楽は待っているのである。

朗読はされんかったが室生犀星「夏の国」
夏は真蒼だ

みどりの国のこひしさに

最初の行の真蒼というのがいい。夏の純粋さ、夏のひたむきな暑さが伝わってくる。
最後の行を読んで、高村光太郎と空のない東京で過ごしていた智恵子を思い出した。

田中冬二も勿論、掲載されている。「春」「四月の雨」という二つの詩がでてくるがどちらにもすぺいんささげという実在せんけど素敵なお花がでてくるねん。
私は海洋測候所(これも実在せぇへん)も好き。

村山槐多「空」
こういう詩は口にだしてよみたくなる。漢語的な表現がきれいだから。
美しき空に濡れて
二人歩を共にすれば

美しき空の下
Xの形に燈きらきらと戦動す

まずエックスとはなんぞやと思いながら、ふたり、ほをともにすればの表現がきれいだなあと感じた。
ちょっとわからないこと、どんなんやろと想像させるとこもあり、しかもきれいな表現でぐっとひきつける。

八木重吉「豚」
この 豚だって
かわいいよ
こんな 春だもの
いいけしきをすって
むちゅうで あるいてきたんだもの

短いからこそ難しい。詩は短いほうが難しいともいう。八木重吉のみてきた豚さんはどんな豚さんやったんやろうな。
けしきをすう。すごい表現だなあ。この夢中で歩くさまがかわいいのか。短いからこそいろいろと想像させる。

八木重吉、もひとつは更にみじけぇ。「桜」
綺麗な桜の花をみていると
そのひとすじの気持ちにうたれる

なんでしょう、これ、素直に受け止めるのもそれはそれでいいんでしょうね。2行目のひとすじの気持ち、ここにどんだけの想いがのっけられていたことでしょう。

八木重吉より短いのが安西冬衛「春」 誰が読んでも文句は出ないのに、私が読むというだけでブーイングがあがるのはこれいかに・・・日頃の行いでしょう・・・
てふてふが一匹韃靼海峡を渡つていつた。

あぁ、短くて素敵。これ、中本さんが解説してくれて更に素敵。どうやら最初からこの短さで推敲に推敲を重ねて言葉を決めたらしい。
韃靼海峡なんてねぇ、そう簡単にでないよ。韃靼海峡とは樺太ユーラシア大陸との間にあるんだそうな。
てふてふとひらがなで始めて、難しい熟語の韃靼海峡。この対比も見事。

丸山薫「病める庭園」

この富裕に病んだ懶(ものう)い風景を
誰れがさつきから泣かしてゐるのだ

オトウサンヲキリコロ
オカアサンヲキリコロ


オトウサンナンカキリコロ
オカアサンナンカキリコロ
ミンナキリコロ

丸山薫は裕福な家庭に生まれた。海が好きで船員になりたかったが脚気を悪くし断念。父や母をキリコロセと物騒な言葉が中盤にでてきて、最後にはナンカと強調されている。
そして皆殺してしまえと。病める庭園。庭園とは丸山家だったのか、それとも丸山薫そのものだったのかもしれない。
同じぼんぼんでも対照的な詩が尾形亀之助「春」 春というタイトルの詩は多いなあ。まだまだあるんやろなあ。
(春になつて私は心よくなまけてゐる)
私は自分を愛してゐる

私は空ほどに大きく眼を開いてみたい

書斎は私の爪ほどの大きさもなく
掌に春をのせて

かっこでくくった1行目やね、まずはそこよね、突っ込みたいのは。春のせいにしてません、亀さん。そして自分を愛してゐると言い切るぼんぼん。もはや何も言うまいて。
自己肯定感の低い私とかは亀之助を少し見習うべきなんやろか。社会人の皆さん、自信をもちましょ、こんなぼんぼんでも心よくなまけているんですから!
書斎が爪より小さいというのはどういう意味なんだろうか。この詩で気に入ったのが空ほどにの行。
これも朗読されなかったが三好達治「冬のもてこし」
冬の持ってきた春というような意味らしい。文語の詩なんだが一連が4行でリズムがいい。
冬のもてこし
春だから
この若艸(わかくさ)に
坐りませう

それらのものの
一つです
さらばわれらの
語らひも

なんだか最後の行は、楽しいことが終わった時の寂しさを漂わせているような気になる終わり方。

高橋新吉木槿
木槿の花の白さは何であらう

何であらう この白くほのかに目にひびく
ふるれば消ゆる幻のやうな花

ダダイストらしくない詩にDさん、悟りを開いてからの詩では?と一言。辻潤ダダイストは俺やーーと喧嘩を売った人と同一人物とは思えん、この白さ。ダダイストとしては辻潤のほうが有名で、新吉は俺のダダを返せと殴りかかったそうな。こういう小話をきくとまた新吉をやってほしいし、辻潤もやってほしいな。
黒い紙に白い文字で書きたくなるような、白という文字ばかりが浮かんでくる。

読んでるだけで春が走ってきてくれるような詩が金子みすゞ「足ぶみ」(これも朗読はされず)
わらびみたよな雲が出て、
空には春がきましたよ。

ひとりで足ぶみしていたら、
ひとりで笑えて来ましたよ。

一人で笑ってして居たら、
誰かが笑って来ましたよ。

これもテンポがいいな。同じ語句の繰り返しがリズムに拍車をかける。
草野心平「えぼ」

えぼがえるだよ。ぼくだよ。

匂ひがきんきんするな。

けっとばされろ冬。

春君。
ぼくだよ。
いつものえぼだよ。

蛙君から春のご挨拶である。蛙から詩のプレゼントだよ、粋でしょ。
けっとばされろってのがいいねぇ。冬の苦手な私としては大いに賛同である。でも食べもんは秋と冬だよなあ。
匂いがきんきんだよ。ビールがきんきん冷えてるんならわかるけど。これだから詩は面白い。
春の匂いが充満してるのかな。啓蟄。出たくて出たくて仕方なかったえぼがえるの嬉しさ爆発。

野長瀬正夫「夕空とお父さん」
春先の夕空はうつくしいな
こんな美しいものがあることを
この年になるまで気がつかなかったよ

やめたら 毎日どうやってくらすつもりだろう

もうじき定年で仕事をやめる父を息子の視点で書いている。忙しくて空すら見る暇もないお父さん。そんなお父さんが仕事をやめたら何をするのだろう。お父さん、やりたいことあるのかな、ぼおおっとテレビばかりねころんでみてちゃいやだな。と現代の息子なら思うんだろうな。
中原中也「また来ん春・・・」
息子を亡くしたやりきれなさ。
また来ん春と人は云ふ

あの子が返って来るぢやない

ギリシャの国民的詩人ヤニス・リッツオスの登場。「むだづかい」訳は中井久夫
ぼくたちは ほんとにむだにつかってしまったね
まなざしも ことばも からだのうごきも
真っ昼間 ぼんやりと 海をみつめたりなんか してさ

その星がしゃっくりしてるから
あれを聴こうよ なんて さそったけど
あれは もう ほかに きみをさそう ダシに
するものがなくなったからだけ
ただ それだけだったんだよ。

星のしゃっくりときたか。こういう言葉をみると原文をあたりたくなるよね。中井さんの超訳なのか。他の人だったらなんて訳すだろう。
君を誘うダシときたか。しゃっくりもすごいけど、詩にダシと使うのもすごい。あとね、どうしても気になるのが運動シャツ。しかも売れ残りの運動シャツってどんなんさ。

私がリターンズすら参加できなかった山崎方代さんも3つ載ってまっせ。

暮れに出た友の歌集はすばらしい夏の雀は体がだるい

今日、脱力してしまう歌を挙げよと言われたら亀之助と1,2位を争いますね、これ。友の歌集って誰のやろなあ。友の歌集も素晴らしいんやろけど、これと夏の雀をつなげたあんたに
脱帽ですがな。暮れと夏の対比、そしてすばらしいとだるいの対比。

竹内浩三「五月のように」
五月が大好きだった浩三。

なんのために
ともかく 生きている 
ともかく

青空のように
五月のように
みんなが
みんなで
愉快に生きよう

歓喜して生きよと浩三さんはうたう。自分の弱さもさらけだしてそれでも愉快に生きたいと。竹内浩三という詩も漫画も描ける才能を戦争という狂気が奪い去ったのだ。

茨木のり子「さくら」今の季節にぴったりな詩だが最後の2行で浮かれ気分は吹っ飛び、何をすべきかなどと考えたくもなるひととき。

今年も生きて
さくらを見ています

死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

原幸子「砂浜」最後の2行がいい。他にも運動靴とはだしのあいだに海がもぐりこむという表現も素敵。

ぼくたちの足あと
夏が 消すんだろうか

高階杞一「人生が1時間だとしたら」この詩も中也のように最愛の子供がなくなってやりきれなさが込められた詩。春は出会いと別れの季節というけれどこういう別れはやりきれない。
人生が1時間だとしたら
春は15分

きっとその
春の楽しかった思い出だけで生きられる

高階さん、もうひとつの詩「春ing」はちょっとどきっとする
明日は
雲雀も入れてみよう

ってあるけど鍋にじゃないよね??

寺山修司も登場。
ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん

素直にみたものを書く人と本人はそんなことはしないけどそうしているかのように書ける人と。寺山は間違いなく後者という意見がでた。
さも自分のようにこんな歌を書ける人はある意味、天才なんだろうな。

他にももう、沢山登場。辻征夫の俳諧辻詩集、吉行理恵、高田敏子、萩野なつみ、石垣りん与謝野晶子萩原朔太郎、木下杢太郎、宮澤賢治堀口大學、プレヴェール
永瀬清子、原民喜、宇留田敬一