室生犀星でポエカフェ第二期ファイナル

 ポエカフェ第二期ファイナルはいがらしみきお氏をお迎えしての室生犀星篇。
カッカカフェの地下に約30人。会場は長机があり、どうみても会議とか説明会の雰囲気だが、ひとたび、ぴっぽさんがしゃべるとそこは、ふわり穏やかなる詩の世界へとがらり変わっていく。
自己紹介だけで30分があっという間に過ぎていく。私の斜め前にぴっぽさんのお兄さんがいらっしゃったとは・・・!
今回も予習せずに臨む不届きな私を尻目に、犀星の面白い過去が次々と明らかにされていく。
本名は照道。金沢で1889年に生まれるが68歳の父が女中のハルに産ませた子供で、生後1週間で、赤井ハツという貰い子専門の女と気の弱い住職が夫の家に貰われていく。このハツという女がろくでもないやつで、酒乱&ヒステリー、暴力人間。
犀星は学校嫌い、成績も悪く、高等小学校を三年で退学。
13歳で金沢地方裁判所の給仕として働く。
20歳で金石の登記所に転勤で、やっとハツから離れられる。うん、よく我慢したぞ!
21歳で上京。谷根千を転々としていた。お金がなさすぎて(でたーー、近代詩のキーワード)金沢と東京を度々、往復とあるが、お金ないのに、どうやって?引越しってすごいお金かかるんやで、敷金やら保証金やら・・・昔は引越ししやすかったのかな。
金沢では実家に戻っていたのだろうか。
13歳の頃から文学に親しみ、18歳で詩作を開始。24歳の時、北原白秋主宰の「ザンボア」に小景異情」など14篇発表。
その詩を読んだ朔太郎からラブレターかと思うような熱烈な手紙を貰い、二人の愛は・・・ってそういう話ではないか(笑)
この二人が初めて会うのが犀星25歳の時。金沢から前橋の朔太郎を訪ね、宿を紹介してもらう犀星。詩を読んでさぞかし美少年やと想像していた朔太郎は野武士のような犀星をみて、がっくり。一方、犀星もなんてきざな奴やねんと第一印象で思ったそうなんで、引き分けとしよう。
だがしかし、犀星、前橋に二週間もずうずうしく朔太郎のお金で宿泊って!そりゃ、「いつ、帰るんじゃ!」といいたくもなりまんがな。
でも朔太郎はいい男でね、犀星が帰るとき、おにぎりの中にダイヤならぬ、マリア像をいれといてあげたらしいねん。ちょっときざか(笑)
こんな意気投合してんだかしてないんか、ようわからん二人やけど、その後も親友だったようで、一緒に詩の雑誌を創刊したり、出版社をたちあげたりした。28歳で淺川とみ子と婚約。翌年「愛の詩集」「抒情小曲集」でめきめきと筍のように頭角を現すも貧乏生活は変わらず。
30歳で小説三部作「幼年時代」「性に眼覚める頃」「或る少女の死まで」を出し、小説家としても認知される。
37歳の頃、芥川龍之介中野重治堀辰雄らと親交を深める。が翌年、芥川が自殺。
歌手でも一番最初に売れた曲が一番すごいといわれることが多いが、犀星文学の大噴火は晩年、66歳以降というから恐るべし。
随筆「女ひと」が売れて、快進撃が始まる。「杏っこ」「蜜のあはれ」もこの頃で、「老いたるえびのうた」が絶筆となる。72歳肺がんで死去。
いがらしさんの数回の突っ込みがこれまた面白かった。「犀星はイケメンじゃない。愛の詩集なんて顔ににあわないことやる」
第二部でいがらしさんの詩が朗読される。「詩のこと」「地震のこと」どちらも心にずどんと強烈に響く。ストレートに素直なだけに。でも表現はきれいなのだ、優しいのだ、だから心に染み入る。これは是非、冊子でもいいから、何度も活字で読みたい。
必死でメモしたんだが、速記術を身につけてない私には・・・あぁ、無念なり
そうだ、飲み会でぴっぽさんが「犀星には愛人がいたんやで」と爆弾発言したから、一気に酒がおいしくなりました(笑)
それも家庭を顧みずにというのではなく、家庭は家庭でちゃんと大事にしていたとのこと。
犀星はいつの日か、また忘れた頃に第2弾をやってほしい。膨大だもの、作品が。エピソードも多いし!
犀星といえばやはり「小景異情」の
ふるさとは遠きにありて思ふもの
が有名。これ、そして悲しくうたふものと続くのがなんともやりきれない。犀星の生まれなどを知ってしまうと余計に切ないものがある。
金沢の犀川から犀星と筆名をつける。故郷には帰らない、帰れないならば、せめて名前をなんていう思いがあったかどうか。
哀しいといえば絶筆の詩も強烈だ

「老いたるえびのうた」
きょうはえびのように悲しい
で始まる
最後は
生きてたたみを這うているえせえび一疋
からだじゅうが悲しいのだ
 えびだよ、えび!私はえびチリが大好きなのだが、ちょっと、えびといえば当分、この詩を思い出しそうだ・・・
ひげやらとげやらが悲しいといっているのではない、体全体がいっている。どこか一部が悲しいのなら慰めようもあろうが、全部かよと
思ってしまう悲しみの強さがここにはある。

朗読はされなかったが「昨日いらしって下さい」はタイトルだけで、強烈な印象だ。
喧嘩をうっているようで、皮肉をいっているようで、でもちゃんと前に進めよといわれているような気がする詩だ。