ポエカフェ 山之口獏篇

つい先日、ツイッターで、カッカカフェが来月15日で閉店する事を知る。
ポエカフェで使うのも今日が最後なのだ、明智君。
沖縄出身の獏さんということで沖縄出身の方が初参加というのも嬉しい。このポエカフェにあわせて沖縄から風のように戻ってきたやまがら文庫さんも初参加。そして、日暮里の古本屋信天翁のKさんも初参加で、獏さん同様、15歳から詩作をしてるという詩人も初参加。
1903年9月11日生まれの獏さんは15歳で詩作を開始、ホイットマン・犀星、藤村、大杉栄などを愛読。わたしゃ、15の時は・・・何読んでたかなあ。少なくとも上記の人たちの本なんてさわりもしなかった・・・
17歳になると絵画制作に熱中。文才もあって画才もあるとかって、いいねぇ。
サムロのペンネームで「石炭」という抗議詩が琉球新報に掲載され、職員会議で問題となり、中学4年で退学処分。
博物の坂口先生が「石炭にも階級はある。〜略〜ましては人間社会に階級があるのは当たり前」と言う「むしろ人間に白色、黒色、黄色の差別があるようなもの。石炭に階級があるというのは馬鹿げた事だ、というような抗議詩だった。
19歳で初の上京。日本美学校へ入るも1ヶ月で退学。家賃払えず、下宿を夜逃げ。駒込の友人宅に移住。翌年(1923)関東大震災にあい、帰郷するも実家は破産し、家族離散。父は銀行の支店長やったのに鰹節製造業もやってたんか?それが潰れて一家離散って・・・獏さんの公園や海岸で寝起きするルンペン生活の始まりでもあった。
21歳で再上京。が、震災後で職はなく、あえなく帰郷。いろんなペンネームで「八重山新報」に作品を発表。山之口獏というのもペンネームで、本名は山口重三郎。
24歳、三度目の上京。佐藤春夫、サトー八ローらと出会う。
公園のベンチで寝たり、いろんな仕事をしながらの放浪、貧乏生活の中で詩を書き続ける。初上京の日から16年間畳の上に寝たことはなかったという獏さんのすさまじき貧乏生活。獏さんの生活上の支援をしていた佐藤春夫が見かねて、この友人はあやしいものじゃありませんと特製名刺を作成してあげるくらい、警察の人には獏さんが不審者に見えたのだろう。
26歳、佐藤春夫宅で高橋新吉と初のご対面。佐藤春夫はこの二人が好きで、「ルンペンの獏ときちがいの新吉が出入り」と言っていたらしい。新吉さんは佐藤さんの家で恐ろしいものを投げてはいませんよね・・・(笑)
30歳、この年も大事な人との出会いがある。金子光晴だ。彼とは生涯を通じ、深い交流をする。
32歳、佐藤春夫の紹介で雑誌に詩を発表し、以後、、文壇にその名が知られ始める。
34歳で結婚し、放浪生活に終止符。
それにしても獏の仕事は多種多様だ。汲み取り屋、暖房屋、便所のマンホール掃除、東京材木日日新聞、ニキビ・ソバカス薬の通信販売などなど。ポエカフェ詩人最強貧乏か・・・
35歳、第一詩集「思弁の苑」
36歳東京府職業安定所に就職し、初の定職。いままでさんざん放浪してた人が職安・・・(笑)
長男は生まれるも翌年死去。
41歳のとき、長女の泉誕生。
45歳職安をやめて、文筆業に専念。一家で上京し、月田家に二ヶ月の約束で間借りし、16年間居座る(笑)うん、もう、手放したらあかんよ。すみついたらええねんと私は、読んでて思いました。
54歳、故郷に凱旋。垂れ幕に「獏さんおいで」と大歓迎。おかえりではないのね。
59歳、胃がんにて死去。
http://jaima.net/modules/person/index.php?content_id=10
このサイトが面白い。池袋の「おもろ」という沖縄料理店で獏さんは踊ってたらしい。しかもこの店、検索したらヒットした、それも西口徒歩1分って!(笑)
獏さんの詩の中には早口言葉のテストに使えそうなものがいくつかあって、面白い。「存在」
僕らが僕々言ってゐる
その僕とは、僕なのか 
と続いていき、最初の1連で「僕」という単語が19回も出てくる僕僕の詩なのだ。
これを朗読した人、大変そうでした(笑)
僕のことなんか
僕にきいてはくどくなるだけである
と。じゃ、誰にきいたらええねん(笑)
また舌のもつれそうな詩の一部を紹介しよう。
「喪のある景色」
子のまえはその子である
その子のそのまたまえはそのまた子の子であるというように
子の子の子の子の子ばっかりが

すごいでしょ。でもこれ、最後の2行がいい。

神のバトンが落ちている
血に染まった地球が落ちている

しびれましたね、この表現。
血に染まったとは何のことか、意見が色々出ました。

獏さんの表現がもう、ぬきんでていて、すごいなと思う。
生活の柄という詩があるのだけど、このタイトルがそもそもすごい。
頭の中でひらめいたものなんだろうな。でもそれは詩をずーっと書き続けている獏さんだからこそ、何千何万と言う言葉の中からおりてくるのだろう。

第一詩集の序文がまたいいねぇ。佐藤春夫金子光晴が書いているんだけど、獏さん、愛されてますね。
金子光晴はこの序文で
獏君によって人は生きることを訂正される。とどきっとするようなことを書いている。
佐藤の序文は愛情がストレートにでている。
家はもたぬが正直で愛するに足る青年だと。
女房になってやる奴はゐないか
誰か詩集を出してやる人はゐないかと
スポンサー探しまでしてくれている(笑)

個人的には偶然、朗読して知った「兄貴の手紙」が気に入った。
大きな詩を書け
大きな詩を
という2行で始まる。
最後は
大きな詩になれ
大きな詩に
と結んでいる。
るんぺんあがりの僕だけどちっとも卑屈じゃない獏さんの懐はとっても大きい
んじゃないかと思う。
故郷の沖縄が好きで大切なんだなあというのがしみじみと伝わってくるものも
ある。
「弾を浴びた島」という詩では
獏さんが沖縄の方言を使っているのに現地の人が使ってないことを皮肉っている。
沖縄の方言も戦でなくなってしまったのかと・・・
杉山平一と照らし合わせながらもっと他の詩も読んでみたいなと思った。
最後にカッカさん、とっても美味しい食べ物と飲み物、今までありがとうございました。閉店までにもう一度クラムチャウダーとチリビーンズライスを食べたいな。