ポエカフェ、3度目の北原白秋篇

記念すべき第1回目の詩人(3人のうちの一人やけど)がこのお方。でもって沼袋でリターン詩人として取り上げられ、今日がちゃんとちゃんとの3度目。もう当分ないでしょう(笑)
今回は舞台を神保町の伯剌西爾。小宮山書店のお隣で、古本修羅にはお馴染みであろう喫茶店
参加者15人中、女子がたった4人。男性に人気の白秋なのか、ポエカフェが男子人気なのかはおいといて、さぁ、年譜をたどりませう。
白秋は本名を隆吉といいます。本名よりは白秋のほうが、断然、詩人っぽいなんて意見もでてましたが、この隆吉君、良家の長男なんです。私が白秋テストを作るなら絶対出すであろう、キーワードはトンカ・ジョン!これだけ覚えておけば、白秋はばっちりです(おい)父親は酒造業を営み、この柳川生まれのトンカ・ジョン君は博多っ子なのだ。筑後地方ではジョンといえば、良い子を意味するらしく、弟ならチンカ・ジョンとなるらしい。白秋の人生において最初のターニングポイントは「明星」でしょう。
与謝野鉄幹主宰のこの雑誌を知ったことで、文学の道へと歩んでいく。
与謝野によばれて、明治39年新詩社へ入り、「明星」に抒情詩を発表。前年に上田敏の「海潮音」が出版される。
明治41年にはあのよっぱらい集団もとい、伝説の文壇サロン「パンの会」を木下杢太郎、山本鼎らと結成。この「パンの会」はぴっぽさんが好きすぎて、とうとう、数回続けて、資料を配る始末で、しまいには常連の人は親類縁者にこの資料で説明するようにとの指令が下る。
白秋ら、スターがごっそりぬけた「明星」にもはや力はなく、明治42年には啄木、平野万里、吉井勇が「スバル」を創刊し、白秋もこれに参加。
そして、この年、第一詩集「邪宗門」が刊行。これだけでもこの年はビッグニュースなのに、年末には実家が破産するというおまけつきの年となる。
この破産で白秋、落ち目になるのかというと、詩作活動はむしろ、絶好調で、明治44年には「思ひ出」刊行し、上田敏さまに激賞される。
白秋がどーんと傷ついたのは次の事件である。
松下俊子なにがしとの不倫にて、彼女の夫から告訴され、二週間の牢獄生活。でもめげないトンカ・ジョンはこの俊子はんと大正2年に結婚するわけです。だがしかし、貧窮の末、翌年にはもう離婚っておい!
大正4年、チンカ・ジョンこと弟の鉄雄君と阿蘭陀書房を創立し、雑誌「ARS」創刊。アルスとはラテン語で芸術という意味で大正6年、社名はアルスとなる。
大正5年には江口章子と2度目の結婚。さてクイズです。白秋は何回、結婚したでしょう。これも出します(何に・・・)
大正7年頃より、鈴木三重吉「赤い鳥」の童謡面を担当。これも大きな転機となったように思う。抒情詩の白秋が、子どもが対象となる童謡や童話を作っていくのだから。
35歳、貧乏を脱するもまた、江口章子と離婚とある。
江口章子って激情の詩人というではないか。ちょっと調べただけでも波乱万丈な人生を送った女性ということがうかがえる。http://members.jcom.home.ne.jp/k-fujikake/sld062.htm
詩作で忙しい白秋はだからモテるのか、翌年、佐藤キクと結婚。この結婚でようやく、家庭安定。
昭和17年、57歳で逝去するまで、詩集26冊、歌集15冊、童謡集32冊、歌謡集20冊、散文集29冊、他に論著14冊。しかもそのクオリティは落ちることなく、多くの人に愛される詩歌をいくつも作った白秋。
ポエカフェフードのりんごのケーキがこれまた絶品。コニャックの香りがするというが、ちっとも気にならず、あぁ、りんごの美味しいこと。最後の一口までめっちゃ、おいしかった。
大泉のケーキ屋さんから仕入れたとのことだけど、どこだろう、ちゃんとお聞きする時間がなかったのが悔やまれる。
さて、沼袋に行った人には懐かしいリターン白秋篇はこちら→(笑)http://d.hatena.ne.jp/mask94421139/20111214/1323855469