ポエカフェ秩父遠足篇

さぁ、今年も秩父に遠足なのだ。去年はカートをひきずって、秩父からそのまま広島へ行ったんだよなと思いながら、今年もイベントは重なるのであった。
錆猫さんの一日だけの古書酒場に顔を出してから、天神夫妻といざ、レッドアロー号へ。飯能駅で列車の進行方向が逆になるというんで、席の向きを変えて、談笑。気分はもう小旅行だよ、ワトソン君。
12:30池袋出発で、秩父駅に着いたのが13:48。
今年は絶好の遠足日和。参加者も去年の倍くらいいたらしい。
縁の下の力持ちというか、もはやポエカフェのスタッフ(?)のH殿が持つポエカフェの旗を先頭にまずはポエトリーカフェ武甲書店へ。
今年も坂本さんの心地よくてわかりやすい解説とともに秩父の町を歩く。
もっと聞いていたかった。もっと歩きたかった。去年より解説が減っていたのが唯一、残念だったが、おお、去年もここ歩いたづらーと懐かしみながら、進む。
散策に参加したのが15人くらいいたせいもあって、ポエカフェ軍団の列は常にばらばら、皆、適度に自由できまぐれであった(笑)
若山牧水の記念碑の辺りでH青年いきなり、紅葉に溶け込む。私が丁度、撮影しようと牧水の滝と書かれた板をみるとまさに一体化となったあの青年が・・・ええい、ままよと撮影。そこからもみ男なる言葉が、ポエカフェ女子の間を駆け巡ることになる。
赤やら黄色やら、あぁ、紅葉の爽やかで鮮やかなことよ。しばし、目を奪われ、「余は満足じゃ」なんて偉そうなせりふをいいたくなるくらい、いい気分になる(笑)
武甲山では今でも石灰岩をとっているらしい。それと秩父事件の話も少し聞かせて頂く。心休まる景色の中で聞く坂本さんのお話。自分が思っている以上にこれって、贅沢なことのような気がした。
最後に自由時間となり、解散となり、たちまち食べ物屋さんに走る私。この後にとっても美味しいバイキングがまっちょるというのに!
16:30から本題の本編である。もう、今日のイベントは終わったかのように更に武甲書店で、またりんごの美味しいケーキとコーヒーを貪る私。何しにきとんねんと思ったあなたは鋭い(笑)
今日のポエカフェのピックアップ詩人は、草野心平あんど宮沢賢治あんど菊田守なのだ。
まずはしんぺいちゃんからいきますよ。
ぴっぽさんが近代詩の母がしんぺいちゃんなのですというくらいのすごい人物の草野君。彼は宮沢賢治から遅れること7年後に福島で5人兄弟のの次男として生誕。
彼の子供時代のキーワードは野生児。本を食いちぎるは、吉塚勤冶の大好きな鉛筆は齧るは、人にまでかみつくという有様。そんなワイルドな心平は海外に興味があり、18歳で中国へ。
夭折の兄、民平の残した詩に触発され、中国で詩を書き始める心平。
同級生から機関銃と呼ばれるくらい精力的に詩作に取り組む。
この頃、アメリカのサンドバーグの詩に親しむ。さて、草野心平の人生を語る上で忘れちゃいけないもう一人の詩人がそう、宮沢賢治なのだ。野生児、機関銃ときて次のキーワードは賢治の応援団団長。ガリ版で勝手に賢治の詩集を作って周囲に配布したりとありがたい宣伝部長である。賢治の「春と修羅」をわざわざ中国にいる心平のもとへ送った友人がいなかったら、違っていたかもしれない。彼のいいところは賢治だけではなく、尾形亀之助山村暮鳥八木重吉高村光太郎と、何人も応援するところだ。とここまでは非常に評価の高い心平君だが、昭和3年、貧乏のため賢治に「コメ一ピョウタノム」なんて電報を打ったものだから、心平くんの評価は急降下である(笑)親友ならともかく、会ったことさえないような賢治に何故頼む!切羽詰っていて、他にいなかったんでしょうねぇ・・・賢治君がどん引きしたことはいうまでもない。賢治もはぁ?っていう心情だったのだろうけど、それでも見捨てるわけでもなく、造園学の本を送ったというから、面白い。
近代詩人は新聞社に勤めることが多いイメージが私の中には勝手にあるのだけど、心平もそうで上毛新聞社の校正部にいた。が酔っ払って、間違えてはいかんとこをよく間違え、結局、1年で退社・・・
心平の真骨頂はここからなのだ。28歳になると麻布十番焼鳥屋台「いわき」を開店。よくまあ、焼鳥屋をやろうと思うよね(笑)
だが、この店も1年で閉めて、実業の世界社に入社。44歳の時は貸本屋「天山」を開店するもこれまた1年後に閉店。49歳の時はまたまた飲食業。居酒屋「火の車」を開店って、バイタリティあるというか、せわしないお方でんな。この店、ネーミングがネーミングで続くほうがおかしい(笑)でもここは1年以上もって、なんと53歳までやってたというからある意味すごいではないか。このお店の板前さんが書いた本も世にはある、ますく堂にもある(笑)54歳で日本ペンクラブの理事に就任して、偉くなっても懲りずに57歳になるとバー「学校」を新宿に開店。
16歳で故郷を離れてからというもの32回の引越し。刊行詩集は約30冊、自分の本だけでなく、他の詩人の詩集、全集、アンソロジーなど多数の編纂もこなし、忙しすぎる人生とでもいうべきか。
居酒屋開業趣味人の心平くんはこれくらいにして、次は宮沢賢治にいきまっせ。
ポエカフェでもまだ大御所すぎて、特別篇でしか取り上げてない賢治。外国人に一番知られている詩人が彼だとか。今年も賢治はこの秩父での登場である。
花巻で生まれた賢治は何を隠そう、石コ賢さんと呼ばれるほどの鉱物好きだった。13歳で短歌の習作を開始するが、趣味は鉱物と植物採集であった。
自然とのふれあいをこんなにも大事にした詩人が他にいるだろうか。教師になりつつも本当の百姓になると伊豆大島へ稲作指導で奔走したりと、賢治の人間性の幅の広さみたいなものを感じる。詩を書き、童話を書き、法華経をやり、農業をやりと草野心平にもひけをとらないアクティブな人生だったが、あまりにも短い一生だった。賢治が心平くらい長生きしていたらと思わずにはいられない。
三人目の詩人は現役ばりばりの詩人、菊田守。中野区鷺宮出身。自宅の家の隣にB29の爆撃で流れ弾が落ち、身を持って戦争の恐ろしさを体験。
大学生の時、安西冬衛の「春」という詩に衝撃を受け、詩作を開始。 てふてふが一匹韃靼海峡を渡つていつた。
同級生には阿久悠などがいた。この人、信用金庫ばかりで働いている。この人の息子さんがネット古書店をやっていて、古書ビビビさんとお知り合いらしい。
そういえば序文が最近やたら気になっている私である。というのも萩原朔太郎の「月に吠える」の序文は北原白秋が書いたのだが、これがストレートでとてもよくて、知り合いに「これ、序文がめちゃええんですよ」と買わせたくらいなのだ(笑)草野心平の「第百階級」の序文は高村光太郎。冒頭だけ紹介します。
この世に詩人が居なければ詩は無い。詩人が居る以上、この世に詩でないものは有り得ない。詩人とは特権ではない。不可避である。
いいですねぇ、これも。直球がずどんと胸に突き刺さります。草野心平といえば、野生児とかよりももっと重要なキーワードが蛙であるが、「えぼ」という詩がぶっとんでいていい。
いよう。ぼくだよ。出てきたよ。
2000冊以上もの詩集を読んできたぴっぽさん曰く「いよう」で始まる詩なんてこれだけじゃないかというお言葉である。心して聞くように(笑)
この詩ではけっとばされろ 冬。と冬を豪快に倒しかねない元気さがあふれているのに対して、「秋の夜の会話」は対照的なのだ。秋というよりは冬を
感じさせる詩だ。草野心平の「百姓という言葉」も冒頭がいい。
百姓という言葉はいい言葉だ。
一人で百の姓をもつ。
その豪儀。その個と。連帯。
そして草野心平となるとやはり蛙語の詩を外すわけにはいくまい。「ごびらっふの独白」はご存知、るてえるといういきなり謎の言葉で始まる詩。
これは意味なんて考えずにまずは音読してほしい。もう意味なんてわからんでええねん(笑)でも興味のある方は、この詩には同じ単語が何度も
でてくるから日本語訳と照らし合わせてみてほしい。そうするとあの奇妙奇天烈な単語「るてえる」が幸福という意味だ!とか少しずつ分かってくるのだ。
この蛙語の謎が少し解けた時の快感は英語なんてメじゃないことを保証しよう(笑)
菊田守も面白い詩があるのでいくつかここに。まずは「平目」平目という漢字が好きという作者。この熟語、線対称なんですよね。真ん中から勝ち割っても
右と左が同じといい、眺めていると気持ちが安らいでくるとおっしゃる。そして次の行がいい。
世の中なんでも右と左に分けたがる
黒だ白だと言いたがる
「失うということは」もいい
夢中とは何と無防備なこと!
この一行が目に飛び込んでくる。そして最後の一連が示唆的である
失うということは何と
華麗で見事なことか
失うことによって次第に
柿の木は大きく逞しく成長してゆく

ポエカフェ本編の楽しい授業が終わったあとは、お待ちかねのバイキング。このお店、池袋にあったら、毎週のように通ってるかもというくらい、いつも
美味しいメニューがずらり。今回、特に目の色変えて食べたのが春菊のチヂミと、しゃくしな漬のご飯。あぁ、書いてるだけでまた食べたくなってくるわ!
最後に去年の秩父篇もリンクを。
http://d.hatena.ne.jp/mask94421139/20121122/1353558789