ポエカフェパンの会


むかーしむかし、じゃぱんという世界地図で言うたら米粒みたいな島国で、パンの会というヒミツ結社ならぬ団体、芸術運動が明治41年から45年の間にあったそうな。
これを平成の詩の伝達人、ぴっぽ氏は近代詩のビッグバン!だと。つまりは近代詩を学ぶ上でこのパンの会は必須科目というわけでんな。
明治30年代、森鴎外や上田の敏さんらによって、欧米諸国の文芸が本格的に輸入されてきた。代表的なものは上田敏の「海潮音」や今年生誕150周年の森鴎外の「即興詩人」。
明治33年、与謝野鉄幹というすごい人物が「明星」を新詩社の機関誌として創刊。
この明星には鉄幹の恋愛模様がもう歌をよめばわかるというとても自由で烈しいもので、妻がおるのに、浮気してる鉄幹。その浮気相手の歌をのせる「明星」って・・・晶子にもばればれでんがな。そのどうしようもない鉄幹より有名で凄いのがその妻の晶子で翌年「みだれ髪」なんてぶっとんだものを刊行。
この明星、V9当時のジャイアンツを思い浮かべるといいだろうか。いきのいい旬のねたを取り揃えていたのだ。晶子、北原白秋吉井勇、木下杢太郎、そしてたっくん。ジャンルは詩歌だけでなく、評論、翻訳、美術と幅広く網羅。
伊上凡骨(おお、一発変換したぞ)、石井柏亭らも版画・挿絵で大人気。
石井柏亭山本鼎キリンビールの絵です)らは明星以外にも表現の場を求めて「方寸」という美術雑誌創刊。飛ぶ鳥を落とす勢いの明星軍団、明治40年に約一ヶ月もの修学旅行ならぬ、九州旅行へ。
親分の与謝野鉄幹が白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里を連れていく。その模様が綴られたのが「五足の靴」目的は九州西南部のキリシタン遺跡と白秋の実家訪問。いまでいう家庭訪問?(笑)いやいや、宿代をうかしたんだろうと邪推したりして。
この旅行が白秋の「邪宗門」につながっていったのかと思うとおおお、旅はやっぱ行くもんだねと思うねぇ。
明治41年、思想の違いから白秋、吉井、木下ら中心メンバが7人も「明星」を脱退。前年の旅行でもう決意していたんでしょうか、白秋らは。
これ、ぬけたメンバが将棋でいえば飛車、角、金、銀なわけで、カープで言えば、金本級なんですよ(もうええって)
その年の11月に明星は100号でもって廃刊。次の世代が育っていないと甲子園での連続優勝も難しいのと同じですな。
で、翌月に詩人と美術家の談話的会合(つまりは会合でええやん)を作ろうと隅田川河畔の料亭の第一やまと(ええなあ、高そうやなあ)で第一回の「パンの会」が開催される。
ギリシャ神話の享楽の神(PAN)を旗印に江戸情緒も大切にしつつ結成されたパンの会。学校で聞いた記憶ないな、先生、パンの会、取り上げてや。近代詩の革命やで、明治の東京の下町にどかーんと放った打ち上げ花火やで。
東京をパリに見立てて、か、隅田川は何に見立てたでしょう。セーヌ川ですよ。
明治42年鉄幹にバイバイした白秋、吉井、木下、啄木らが「スバル」を創刊。
啄木はパンの会に一度しか行ってなかったみたいですな。
高村光太郎永井荷風谷崎潤一郎伊上凡骨、フリッツ・ルンプらも参加し、一時は耽美派のメッカとなった「パンの会」も次第にただの飲み会となる・・・
今回、スペシャルゲストとして北方人さんが参加。そう、前日のブログに画像をのせているあの伊上凡骨の本を書かれた偉い人です。
マイナな作家などに焦点をあてている北方人さん。メジャーな作家もろくに知らない私からすれば、もうどんだけ大変なんだろうとそれだけで尊敬の念です。
パンの会、発起人は木下杢太郎。この人が一番偉くて後に医学博士。
夏目漱石が凡骨じゃないと嫌だというくらい気に入っていた伊上凡骨。「こころ」に凡骨の序文が入っているのがあるらしいっす。「スバル」や「白樺」の表紙も手がけたという凡骨。夢二の版画も彫っていたという。仕事はできるが、パンの会ではいつも踊っていたらしいぞ。だから廃れていくんだよ(笑)
北方人さんはフリッツ・ルンプの綿密に調べた資料も配布してくださり、ルンプも凄いがあなたさまもすごいです。みちくさ市でも有名なお方ですね。
ルンプは20歳の時、パンの会に入会。凡骨の弟子です。
ルンプの肩書きが長くてすごい。日本美術文化研究家・・・あぁ、何文字熟語だ(笑)