ポエカフェ秩父篇

天気予報では雨らしい。そう聞いただけで、ちょっと億劫になりかけていたが、なんとか、夕方までは小雨でもってくれた秩父。何を隠そう、秩父は初めてなのだ。
11時44分くらいの池袋発飯能行きに乗る。勿論、いきは節約の750円。これが急行で、石神井と所沢から各駅という便利なもの。飯能で降りるとあら、はにかみ青年とばったり。そこから各駅停車の秩父行きに乗り換え、二人隣に座るも終始無言で読書(笑)ポエカフェ最年少の彼は辻邦正の文芸文庫。かたや、拙者は「新宿鮫」・・・青年と読む本が逆では?なんて突っ込まないように(笑)
秩父に着いたのが13時半頃。西村さんが駅におられて、一緒に武甲山書店へ。西村さんがささっと近くの交番で地図をもらってきてくれる。それもこれもこの私のくそ重い荷物の為だけに。
武甲山書店へはお花畑駅(又の名を芝桜駅と申す)を通過して少し歩いたとこにある。
秩父駅は色んな店が入っていて、すでに焼き鳥やら食べたくなる私。夜店が並んでいるような感じの駅なのだ。
書店で、翌日の広島用の荷物を図々しくも置かせて頂いて、集合場所の秩父駅にまた戻る。Hさんやブックマーク同人のKさんも参加。そして、またあの書店へ。なんや、また行くんやったら、一緒にみんなと行けばよかったのね・・・すみませぬ、西村さん、青年!
参加者は11名。天気は微妙ながらもこれなら、両方行けるということでまずは羊山公園へGO!
登山と言うほどではない、気楽なハイキングだけど、空気が澄んでいて美味しい。公園でただひとり、水を飲む私。もうすでに空腹だったのだ。
武甲山書店の店主さんが実に詳しくあれやこれや薀蓄を楽しく語ってくれるので、長時間歩いても楽しかったのだと思う。
羊山公園から見下ろす景色。あれは何ですかと聞くと即座に答えてくれる人がいるのでありがたや。
どでかいスーパーマーケットの屋上駐車場や、色鮮やかな銀杏の木。でもマンションとか高層ビルがないのが逆に嬉しい眺めだった。
歩いていると、繊維資料館みたいなとこへまずは案内された。有料なので外をぐるっとみただけど、とんがり屋根はあるし、面白い建物でした。ポエカフェ一行はかなり目立っていたと思う。Hさんが雑司が谷でも使っていたあの旗(今回はちゃんと秩父ヴァージョン)を持って歩いていたもの(笑)
一般家庭がまだ井戸をつかっているということで、静かにこっそりみさせて頂く。猫が座っていて、見ると「にゃー」と泣いて、なんともひとなつっこいではないか。ああ、連れて帰りたいわ。ぴっぽさんも猫を拉致しようとしていたとかしてないとか(笑)
秩父って井戸もそうだし、古い建物を大事に残していて、いいなあと思った。古ツアさんも突撃したらしいパリー食堂がある一角には大正の建築物がいくつもあった。
秩父駅周辺だけでも見応えのあるエリアでまた来たいなと思った。今度は桜を是非に。夜祭でもいいな。来月は夜祭あるらしいぞ。
さて武甲山書店に戻って、ポエカフェだ。
宮澤賢治串田孫一尾崎喜八の3人である。
自己紹介は「私と山」という、これまた、私がしゃべりにくいテーマなので、自分はさくっと終わらせました(笑)
まずは尾崎喜八から。1892年生まれで1974年まで生きておられました。
京橋区中央区)の生まれで生家は回漕問屋。船の運搬業で父は生粋の商人気質。
山を初めて見たのが5歳の頃。西の銀座の方角に黒々と横たわる連山。「あれは秩父だよ」と父に教わったらしい。昔は東京からみえたのですな。
自然や音楽を愛し、トルストイロマン・ロランなどにはまった喜八が一番傾倒したのが高村光太郎
20歳の時、光太郎と初めて出会う。
22歳、大事件勃発。職場恋愛するも結婚も文学もやめろと父に言われ、プッツン切れた喜八は反抗。廃嫡となる。
商人になってほしかったんでしょうが、そうはいきません。一人っ子なのだろうか。
30歳で第一詩集「空と樹木」を刊行。
31歳の時、関東大震災。火の海の中、絶縁状態の両親を助け、父親と和解。
32歳で水野実子と結婚。高井戸で文学に打ち込みつつ、畑作り、鶏を飼育。いいねぇ、こういう生活。
33歳、片山敏彦を通じヘッセを知る。ヘッセを原書で読むためにドイツ語を習得って、すごいわぁ。この人、熱中すると、とことんらしい。ぴっぽさんといい、何か一つをとことんやる人の力ってすごい。
39歳、秩父の山へ向かう途中で串田孫一に出会い、ここから50年もの交流が始まっていく。
喜八の長男の名前がすごいよ、朗馬雄(ロマオ)って・・・しゃれた当て字ですが、この子一才で死去してしまう。
串田同様、喜八も戦争で多くのものを失う。
66歳。串田をはじめとする山の雑誌創刊に際し、「アルプ」と命名。執筆でも大いに尽力する。
82歳でこの世を去るが、葬儀委員長が草野心平、司式が串田孫一
全ての山にランクづけなどせず、山そのものを愛した喜八。雲の詩人ともよばれた喜八。
お次は宮澤賢治。この火とはポエカフェでやるとなると一回では終わらないでしょうな。
11歳の時、余りに鉱物好きなので「石コ賢さん」と呼ばれる。
14歳で岩手山初登山。
20歳の時、秩父長瀞、三峰山をめぐり、短歌を友への手紙にのせていた。賢治さんは返事が来る前に又、手紙を出していたらし
く、意外とせっかちだったのか(笑)
串田孫一も平成17年まで生きていたんだね。中学時代からもう山登りしていたというから、健康的だよ。酒飲み詩人と違って、山の詩人は長生きだよねとぴっぽさん。
最後にひとつ、詩を。宮澤賢治「政治家」
こんなタイトルの詩も書いていたんだね。
どのみち、皆、化石になるのになんて皮肉っているのがいい。
武甲山書店さんのご好意で、バイキングがちょっと予定より早く出していただきました。もう、めちゃくちゃ美味しかった。イチジクの味噌田楽ですよ!衝撃のコラボです。どれもおいしくて、これを食べずに帰っていたら、相当、後悔していたでしょう。
武甲山書店は現代詩文庫がずらり、沢山あって、詩の好きな人にははずせない古本屋です。