ポエカフェ 鉛筆詩人ー吉塚勤冶篇

今回の詩人は吉塚勤冶という。検索してもポエカフェしかでてこないという、まさに埋もれに埋もれている近代詩人なのだ。

1909年、岡山で生まれる。ポエカフェ史上、一番シンプルな年譜かもしれない(笑)なにせ、資料が少ない。本もレアすぎるのだ。
生まれたあと、幼少時代をすっとばし、学生時代に突入。大学時代、社会科学研究会に所属していたため、検挙されるという経歴をもつ。
高校生の頃から詩作にとりくむ。この人、出版社に勤務していて、なんと、なんと、岡山文庫を企画した人だったのだ。蟲文庫さんがもっていそうなあの岡山文庫だよ。新聞社の論説委員も務めていた。
私生活では不幸が続く。次男と女児を相次いで亡くしたというから、ショックはいかばかりだっただろう。

念願の第一詩集「鉛筆詩抄」は壺井繁治序文で1949年に刊行。この本が大きな反響を呼び、鉛筆詩人という称号をえる。
新日本文学会に入り、民主主義文学運動に参加。「アカハタ」などにプロレタリア詩や諷刺詩を発表。1972年、63歳で死去。

この人の詩はリズムがよい。「あれぐろ・ま・のん・とろつぽ」という詩では
羽釜でも鍋でも、金盃でも、馬穴でも、飯盒でも、弁当箱でも、(以下略)
とでもでも攻撃でテンポよく、読者を攻めてくるのだ。

「薬缶の詩」でも繰り返しの表現がさぁ、声にだしてよんでみなと朗読の世界へ誘うかのようである

おれはもすこし起きている
おれはもすこし読んでいる
おれはもすこし考えている

起きるの後が、読んで、考えるというのがいいよね。さらにこの詩では

貧しさのなかにゆたかさをみなぎらせる
そんなサンタ・クロースのような詩をひとつ
きっとおれは書き上げるだろう

とカッコいいことをさらりと言うているのだ。

そして「鉛筆の詩」6章まである、この長い長い詩の中に鉛筆というワードがなんと35回も登場するそうな。これ、ギネスにのせてほしいな。鉛筆を愛してやまない吉塚は鉛筆を武器に、自動小銃にみたてて、世の中と闘うのだ。

一本の鉛筆。
こはわが武器なり。

吉塚は叫ぶ。物書きが、作家が、詩人が武器としていいのは武器とすべきは、そう、鉛筆一本でいいのだ。

吉塚さんの他の詩も読んでみたいのに・・・復刻を切に願うなり。