ポエカフェ 尾形亀之助篇
今日もポエカフェの舞台は本の巣窟の町といってもいい神保町の「伯剌西爾」さん。4年前に一度、とりあげた尾形亀之助君が今日の主役です。
この人、生年月日がキリ番です。1900年ー覚えやすいでしょ。明治だと33年。これまたぞろ目でカープの江藤の背番号。しかも誕生日が12月12日って!
さて、今日もぼんぼんのご紹介です。宮城県の大河原町で生まれた亀くんのお家は県内屈指の資産家。というのも初代安平がすごい人で酒造業も軌道に乗せ莫大な財産を築く。が2代目は酒造業をやめ、それを祖父(二代目)、父、亀之助と3代に渡って放蕩三昧の果にすっからかんとなった。
初代安平の業績はすごいぞ。大河原町の中央を流れる白石川に架橋したり、新田を開発したり、町つくりに貢献。尾形橋、尾形丁、尾形新田は尾形安兵に因んで命名されたものである。尾形家は藩政時代から続く酒造を業としていたが、明治28年に全国初の酒の壜詰を考案して「梅が香」として販売した。
11歳の時、喘息で仙台から鎌倉へ転地。16歳で中学を退学。
18歳の頃か啄木・ドストエフスキー・ツルゲーネフ・トルストイにふれ、詩・絵・短歌を始める。
同人誌を作ったりと文芸活動が活発になる。19歳で学業放棄。もはや何も言うまいて(笑)
20歳で東北学院中学を落第し、退学。「玄土」へ短歌を発表。
21歳、ここはつっこまんとあかんお年なのです。なんと祖父が見初めた相手森禄三の長女タケ(18やでー)と結婚。普通は結婚したら自立するんかなと思うやん、ところがすっとこどっこい、砂糖を丼一杯詰めた和菓子より更に甘い。実家の仕送りで生計をまかなうってちゃうやろ、違うやろ、あかんやろ!
この頃、タケの親戚の木下秀一郎を知り、本格的に絵を描く。村山知義、柳瀬正夢らとも知り合い、「MAVO」という新興美術家集団を結成するのだが、何せ金持ちのぼっちゃんということで、こいつに展覧会の金を出させようという魂胆まるみえの現実に嫌気がさし、違和感を感じた亀君は絵画から遠ざかっていくことになる。
25歳で第1詩集「色ガラスの街」刊行。限定500部で350部売れたというから、ただのぼんではない。時代は米1俵20円なりし、このぼんぼんの仕送りは月80円也。よって、詩集も簡単に出せるあるよ(笑)ぴっぽさんも見たことがないレアな雑誌「月曜」は野球でいえばオールスターのような豪華メンバーが寄稿していた。藤村、足穂、サトウハチロウ、宮沢賢治、草野心平などなど。こんなすごいメンバーで、20000部も発行したというからいやはや。3号で潰れるのも仕方なしか。でもこういう雑誌こそ残っていてほしかった、細く長く。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/ このブログ、吉行あぐりがやっていたバー「あざみ」についての記述が詳しくあり、しかもめちゃ面白い人物相関図があるから是非どうぞ。これをみても分かるように、亀之助、相当、あぐりさんにくびったけだったんだね。もう一回、ドラマ「あぐり」がみたくなってくるではないか。しかしまぁ、このバーに後に再婚する芳本優も出入りしてたというんだから、狭い世の中というべきか。今はこういう文壇バーがないんだよね。バーじゃなくてもこういう集まれるとこがあるといいよね。
28歳ー金子光晴の弟、大鹿卓と「全詩人聯合」発足。そしてこの年、妻タケと離婚。亀之助は子供二人は自分が引き取るという条件で合意。タケはんは大鹿さんと仲良くなり、亀はんは18歳の芳本優と・・・。あぁ、めちゃめちゃやん。
こんなことぐらい序の口といわんばかりの事件(?)が30歳の時に起こる。妻らと上諏訪へ旅行へ行っただけやのに、高村光太郎らに自殺旅行か?と心配される始末。光太郎は自分の蔵書を売り払って草野心平に様子を見に行かせる。心平がパリ行きを勧めるも「互いに人のことに口を出すのはやめようぜ」ときっぱり断る亀之助。喧嘩になるも、後に仲直りしたそうな。
32歳、実家からの信頼がとうとうマイナスとなり、仕送りは減る。(そりゃそうだろう)33歳から37歳は無為の日々を真摯に過ごし、詩作。仙台に戻ってから、亀之助には仕送りは全て現物支給。
38歳、初の就職です、亀くん。仙台市役所税務課に臨時雇い。不真面目な勤務態度ながら5年もいれたっていうのが恐ろしいわ(笑)働いてる癖に家にお金を入れんという亀之助に当然、妻は愛想尽かし、家出繰り返す。
41歳、家の経済はますますどん底に。本宅と持家一部を東北配電に売却。家族は借家に転居するも亀之助だけは廃屋同然の24号の家に残る。
42歳、喘息悪化。亀之助、最後は家族が用事ででた合間に息をひきとり、誰にもみとられずに亡くなる。
亀之助のこの短歌がよかです。
叛きたる若き命のさ迷ひに十字の路を知らずまがれり
若き詩人S君が「ある来訪者への接待」をこれいじょうないくらい上手に朗読してくれました。私はさんごさんがあの蛙の詩を朗読した時以来のスーパーひとしくんをあげたいと思います。
ちなみに3週間後にはもっと進化した朗読ができるとのことで期待してるよ(笑)
この詩、ほんとどこで区切るねんってな詩です、冒頭は
どてどてとてたてててたてた
で始まります。PCでうつだけでも間違えるよ、コレ。それをすらすらと朗読したS君は素晴らしい!
気に入った表現がこれ。
「無題詩」
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと
聞いてみたらじゃなくて、たたいてみたら。ううむ、とうなってしまいますな。
だからどうやねんといいいたい代表的な詩がこれ。
「昼」
昼の時計は明るい
私はまだ、この詩、時計といれただけ、亀之助はすごいと思うのです。昼は明るいって言われたらもう、コメントさえ
しようがない(笑)
この詩を読んで、これなら私にも書けるわいと思った人が増えるような気がします。そういう意味では詩人増殖効果があっていいのかもしれん。
第三詩集『障子のある家』の後記の泉ちゃんと猟坊へというくだりがまたいいのです。
最後の行に
お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。
性転換していいよって、亀之助はすごい先見の明があるというか前衛的なのです。放蕩三昧でどうしようもない女たらしなくせにこの時代、まだ誰もそんなこと考えてないだろうというようなことをすでに文章で発表している。
詩に興味ない人も尾形亀之助みたいないい加減なやつ、すかんわというお方も、この後記だけでも読んでみてほしい。