「月と六ペンス」
そういえば古ツアさんのブログ、相変わらず改行ないけど、読みやすくなってますね。字の大きさも少し大きくなったような気がするし、設定を変えたんでしょうね。私より改行しない人、いるじゃないか(おい)
カープの調子がいいづら。いいぞ。
「月と六ペンス」読了。ゴーギャンの半生をみつめてきた友人が綴った物語。なんてゴーギャンってひどい奴なんだろうと思いつつも彼の絵をみてみたくなる強烈な個性がそこにはある。天才だからわがままでも友人の妻を奪ってもいいとは言わない。どうして天才にはろくでなしが多いんだろうとも思うのだけど、そこに目をつぶってでも見たい絵、読みたい物語があるのも事実だ。啄木がどんなにひどい借金王でも彼の作品を嫌いにならないのと一緒で(笑)
だが、ゴーギャンにすれば恋愛なんてどうでもいいのだ。絵を描くために突然妻も子供も捨ててパリへ行ったゴーギャン。若気の至りなんかでなく40歳での決意だった。描かずにはいられないと。水に落ちた人間は何とかして助からなければ溺死するだけだと。彼にとっての人生そのもの、生きがいをやっとみつけたということかもしれない。何もかも捨ててということができるだろうか。私にはできない。その捨て身の力こそが必要なのだろうけど。捨て身の人間ほど強いものもないのだから。
絵を描かずにはいられなかったゴーギャン。やらずにはおれない。この衝動の力こそが大事なのだと思う。この本も「草子ブックガイド」に出てくる。2巻で取り上げていて、草子もゴーギャンは嫌いだと言いつつも父親に「父さんは絵を描きたいの?」と問いかけ、本当の父さんの絵が見たいと語るシーンに心動かされる。草子はただ本を読むだけではない。そこから、物語からいろんなものを学び取り、すくいあげている。
明日は雨なんて不吉な予報が出てるのが気になるんだけど、池袋のみらい館で一箱古本市があります。明日は池袋集合ですよ(笑)