ポエカフェ八千代市立中央図書館篇

本日は千葉の八千代市立中央図書館で開催のポエカフェ。八千代市のお花が薔薇ということで薔薇薔薇薔薇薔薇篇なのだよ。くらくらしてきますね、薔薇って漢字を繋げると・・・
自己紹介は薔薇と私というまた無茶振りをされたので、花の知識なんて皆無な私は勿論、「バラといえば紫のバラです、ガラスの仮面しか知らないっす」とポエカフェの常連とは思えない救いようのないオチで隣の花博士へとバトンを渡す。
まずは外国勢の詩から。
ロミオとジュリエット』の第二幕第二場のジュリエットのセリフ。

「名前ってなに?バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま。」

うぉぉ、しょっぱなから何気にいいやん、これ!詩じゃないけど。
もう一度、ロミオさんを読まねばと思ったのでした。こんないいセリフあったのかと驚きだ。敵対する家の人間と恋に落ちた。さぁ、どうしたものか。ロミオがロミオじゃなかったら全ては解決するのに。なぜ、あなたはロミオなのか。ジョディでもさくらでもいいではないかといわんばかり(そこまで言うとらん)
名前、個々の区別、その人の存在とは何なのか、名前で決まるのか。そんなことまで考えたくなるような深いセリフ。

昨年、ポエカフェに登場したリルケはんも書いてます。
「薔薇の内部」 これはもう一、二行目が素晴らしい。

どこにこのような内部を包む
外部があるのだろう。どのような傷に
この柔らかな亜麻布はのせるのだろう。

フランスのレミ・ドゥ・グルモンは「薔薇連祷」抄でバラを偽善の花よ、無言の花よと
いい、薔薇をいろんなものにたとえていいます、それもしつこく長く(おい)
女同志の愛を思はせる眼付きの薔薇の花よ
うかれ女のやうに化粧した薔薇の花

こんな感じでえんえん続くのだよ、ワトソン君。
読んでいるとあまりいいイメージに例えてないやんと思うのだが、それでもこんなにも様々なイメージを薔薇にのっけるこの詩人はとても薔薇を愛していた。もしくは薔薇のような女性がいたのかも。
この詩は上田敏だけでなく、堀口大学大手拓次も訳していて、読み比べするのも面白いかもしれない。

お次はフランシス・ジャム「或る詩人が言った」尾崎喜八

或る詩人が言った、自分が若かったころには
薔薇の木に薔薇の花が咲くように詩が咲いた、と。

この詩も最初の2行にずきゅんとやられた。
無理なく口ずさむように詩が浮かんできてほしいのにちっとも浮かばない
私には、なんて突き刺さるんだろうと思いつつ、こんなにストレートにでも綺麗に表現できたら素敵だなと感じた。

朗読はされんかったけどこれもよい
ポルトガルフェルナンド・ペソアフェルナンド・ペソア詩選』より
己れの運命を歩め
己れの草木に水を注げ
己れの薔薇を愛せ
あとはすべて
お前とは無縁な木ぎの影だ

ここから全日本チームですよ。まずは与謝野晶子
「鏡中小景」冒頭、どうしてこんなみすぼらしいとこに来たの、薔薇さんと薔薇を友達のようにうたう。
そして最後の2行では

いや、自分を守るやうに
そなたを守りたいためだ。

と薔薇と一体化している。関東大震災でショックにうちひしがれていた時に知り合いから薔薇をもらった与謝野晶子
次は啄木の「君が花」
君くれなゐの花薔薇(はなそうび)と七五調でリズムよく進み最後も
君が花をば染めにけれ

とテンポよく締めくくる。もう一つ短歌。御大の白秋で気に入ったのがこれ。
飛び越せ飛び越せ薔薇の花 子供よ子供薔薇の花

テンポよくて好きなんだけど、ちょっと無理があるよねという意見がでてこれもフィクションかな、比喩かなと。
黄薔薇に鳥がとまるっていう短歌も白秋なんだけど、花博士曰く、薔薇に鳥がとまるってのがあまりないということなのだ。薔薇にはとげがあるしね、みつも少ない。鳥は自分の利益にならんことはしないと。白秋はバラが好きだから薔薇にしたのか、それとももっと深い意味があるのか。
薔薇の素敵な写真と薔薇の短歌が掲載されているのでリンク貼っておきまする
http://horikaz2.blog.fc2.com/blog-entry-1089.html

さてお次は2400篇もの詩を書いた大手拓次。彼はそのうち80篇が薔薇の詩。30分の1。これを多いととるか少ないととるか。
ミスター薔薇詩人と呼ぶべきでしょう。香料だらけの部屋をもっていたという拓次。すごいタイトルの詩があるんです。その名も「薔薇のもののけもののけ姫より強烈でしょ(おい)
あさとなく ひるとなく よるとなく
わたしのまはりにうごいてゐる薔薇のもののけ

そりゃねぇ、香料だらけの部屋で詩を書いたらそうなりますわ!
西条八十や村野四郎も薔薇の詩ありますが吉原幸子へ飛びます。
「パンの話」最後の2行
パンがあることをせめないで
バラをたべることを せめないでください

浅はかなことに私はこの詩をこの通りに受け取っていた。ぴっぽさんの解説がなかったらおばかな質問をするところであった。
日常生活を表すパン。その対比としてのバラは詩人としての自分なのであり、薔薇を言葉通り食べるわけないのであった。あぁ、自分がバカすぎてかなり嫌になったが、却って、この詩が印象づけられた。
人はパンのみにて生きるにあらずをまさに薔薇の詩で表現した吉原幸子
自分にとっての本がこの詩のバラでありたい、あり続けたい。

正岡子規の短歌もよい。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

強さと柔らかさが同居していてしんしんと降る春雨の情景が浮かんでくる

薔薇といっても色が違えば花言葉も違うというのでますます奥が深い。

八千代市立中央図書館は本好き、図書館好きにはたまらない図書館です。
ここが家の近くだったら、週の半分はここにいくよ、わたしゃ。このブログもここで文献調べながら書けるし(その前に予習しろよ)カフェブースもあるから1日いられる。八千代市中央駅からバスで5分。歩いても15分でいけます。池袋もこういう図書館にしてほしいよなと呟いたのはいうまでもない。