ポエカフェ 高田敏子篇

2009年10月からこつこつと開催されてきたポエカフェも満5年なのだ、パチパチ。第63回目となる本日は高田敏子である。
この人の名前は「詩の世界」という本の作者ということで知っていた。
1914年日本橋で生まれた彼女は今年、生誕100年。
塩田家の次女で、母イトは陽気で勝気で商売人気質。もう少しおとなしい母をと願うこともあったようだが、母は針仕事が好きで、敏子も裁縫の腕を磨いていくのだ。
6歳で尋常小学校付属幼稚園に入学もリーダー格のいうことをきかんとあかん空気が嫌で3か月でやめたというから、彼女の意思を尊重した親も偉いよな。それから小学校へ入り、そこでは楽しく過ごせたというのだから、いい判断だったということだな。
11歳の頃、ラジオ放送開始。鉱石ラジオという真空管を使わないラジオだそうな。鈴木三重吉主宰の「赤い鳥」を読み始め、行分けの形を知り詩らしきものを書きだす。そして夏休みの宿題に10篇ほど詩をまとめたものを先生に出すも「変な子」と言われただけって、おい!先生!
15歳で厳格な母とは対照的に浅草のオペラなどに連れていってくれていた父親が脳溢血で急逝。母も精神を患い、塩田家に暗い空気がたちこめる。死への願望を抱き、睡眠薬を買いためていた。が文芸誌「すずらん」へ詩や短歌を投稿したり、友人と同人誌「こころ」を刊行し、虚無感なども忘れていく。
だが、厳格な母はまだまだつきまとうのである。内緒で就職試験を受け、合格したのに反対に遭い、断念。イトさんは何の職業やったら許してたんでしょうね。就職自体、あかんかったのかもしれない。というのも20歳で結婚をすすめられ、気乗りせんまま、兄の友人で商事会社に勤める高田光雄とゴールイン。夫の任地のハルピンで新生活を始めるも接待麻雀で忙しい夫への不満や異郷で暮らす寂しさを洋裁の腕を磨くことでうさをはらす。って不良になるでもなく、なんてええ人やねん。そんなやつ、さっさと別れてしまえーと思いながら、聞いていた。
母の束縛から逃れたかと思えば、今度は夫という束縛。
21歳、長女(久冨純江)出産。そして25歳の時、5年ぶりに帰国し、大阪で洋裁学校へ通う。詩人高田敏子というより、洋裁家高田敏子の年譜をみているかのようでもある。
27歳ー次女の高田喜佐出産。28歳で長男邦雄出産。31歳、終戦を台湾で迎える。32歳、夫を台湾に残し、焼け野原の東京へ子供3人と引き揚げる。厳格な母の住む家でその日の食べ物にも事欠く生活。ミシンと姿見を買い、洋裁の内職を始める。
幸せとはいいがたい日々の生活。そんな折、書店で雑誌「若草」を読み、10年くらい遠ざかっていた詩作を開始。詩の欄の選者は堀口大学
34歳、現代詩グループ「コットン」に入り、そこでの自分の立ち位置、母でも妻でもない呼ばれ方、高田さんと呼ばれたことを嬉しく感じる。
それでも洋裁は続け、近所の主婦にも教えていたくらいだから、すごい腕前なんだろうね。
1950年コットンの仲間と現代詩誌「日本未来派」を創刊。
1952年(38歳)この頃、原因不明の体調不良やモダニズムの手法に戸惑い疲れたこともあり、「コットン」退く。
1954年(40歳)第一詩集「雪花石膏」刊行。翌年、女性4人で同人誌「JYAUNE」創刊し、第二詩集「人体聖堂」刊行。だが、現代詩はこう書かなくてはいけないという呪縛に息苦しくもなる毎日で体調はますます悪化。脊髄腫瘍と判明するが、45歳の時の手術が成功し、奇跡的に健康を取り戻す。12月安西均と詩誌「銀婚」創刊。この銀婚ってちょっと意味深だなと思ったんだけど。
1960年、「日本未来派」をやめる。3月から朝日新聞家庭欄に写真付きで詩の連載を開始(毎週月曜)平易な言葉で日常を描いた詩に主婦や働く母たちに大人気となり3年余り続く。
48歳(1962年)この連載の詩をまとめたのが「月曜日の詩集」となり出版される。
そんな高田敏子に詩壇の評価は低かった。だが、世間は違った。敏子は全国の愛読者のために生活と詩を結ぶ「野火の会」結成。
誰でも入れる詩誌「野火」を隔月発行し、以後、敏子が亡くなるまで23年間続いたというから、すごいものである。いいなあ、こういう会。
1967年詩集「藤」で第7回室生犀星詩人賞を受賞。
1969年55歳の時、母逝去。詩集「愛のバラード」刊行。40歳になってから、詩集の刊行が続く。
1977年63歳-夫と協議離婚するも一緒に暮らす。子育ても終え、ひとつのけじめをつけたということなのか。その光雄も69歳の時に亡くなり、その死を見送る。
1989年74歳、胃癌が腹部にまで広がり、永眠。詩人と呼ばれることを恥じたという高田敏子の詩を少しご紹介。

「しあわせ」の第2連にこうある。
ミシンを習いたての娘は
ミシンをまわすだけでしあわせ

その次の行からがとてもいい

そんな身近なしあわせを
わすれがちなおとなたち
でも こころの傷を
なおしてくれるのは
これら 小さな 
小さな しあわせ

柔らかい言葉で、ちょっと大切なことを忘れてない?と問われているような詩。
本が好きな人は本が読めるだけで、しあわせ。他に何を望もうや。
詩が好きな人は詩を書いてるだけでほのかなしあわせ。これ以上なにがいる?

母の日はこの詩を読むといいんでないかい
「いち日に何度も・・・」
お母さん
いち日になんどもあなたの名を呼んで
月日は流れる(あとは略)

これ、逆も言えるよね。会話をすることの大切さ。何度も名前を呼んであげてください、何度も呼んでください。

「水のこころ」

水はつかめません と始まり、水はつかむのでもなく、すくうのであり、つつむのだと。そおっと大切にと。
そして最後の連。

水のこころも
人のこころも

ふんわりと柔らかい言葉で、でも強烈に突き刺さる。どきっとさせられる詩があるのだ。

「虹の色」も素敵な詩だ。

やさしさとは
ほうれん草の根元の
あの虹の色のようなものだと
ある詩人がいった

ある詩人とは安西均らしい。この1連だけでも素敵でじっとかみしめたくなる。ほうれん草を買うとき、あの根元に今度からぐっと目がいきそうだ。

「夕焼け」もストレートでいい
夕焼けは
ばら色
中略
夕焼けが
火の色
血の色に
みえることなど
ありませんように
と結ばれている。
もう、本当にそう思う。ストレートにしかもどぎついわけではなくどこか
優しさがあり、ひしひしと伝わってくる。

詩人の間では家庭の話をせず、家庭では詩の話をしなかったという高田敏子。詩で文句や愚痴をいうでもなく、相当芯の強い人間だったのではないだろうか。
さて、毎回美味しくてたまらないポエカフェフードにまさかのよもやのあんこが!私一人、天を仰いでいる中、特製フードを食べる同人たち(笑)
あぁ、もう何もいうまいて。代わりにマロンケーキなんか食べるからふとるんだっつーの
「詩の世界」がまた読みたいぞ。ポエカフェ後に高田敏子のエッセイが読みたいと言ってた人がいたが、ほんと、この本、わかりやすくて詩の入門書でもあり、中級者にもいいし、いい本なのだ。