今夜のポエカフェはブローティガンで。 

ドイツ詩人以来の外人さんである。その名はリチャード・ブローティガン
1935年アメリカのワシントン州タコマ出身。
母親のメアリーがブローティガンを身ごもっていることを言わず、ドブに落ちてた子を拾ってきたのと言ったため、父はいないということで育てられた。とのっけから、この母親どないなってんねんと波乱含みの人生が始まるのだ。
しかも兄妹はほかに3人いたが全て、父が違うという・・・。母親は父親を度々替えて、ブローティガンが「ぼくにはホテルの自分の部屋があった」(陳腐な話より)と書くのも納得してしまうよなあ。極貧で満足な教育も受けられず、困難な幼少時代となる。そんな彼が一族の誇りでもあったエドワード伯父さんには非常にかわいがられていた。エドワードは母の兄で技術者で夢想家であった。このエドワードが1941年日本人の落とした爆弾に被弾。
昏睡状態が続き、その後、回復するもアラスカで翌年亡くなり、7歳のブローティガンは日本人を激しく憎悪。
1948年13歳の時、また母親のメアリーが再婚。その時の父親は心の安定したよい人だったが、それまでの継父はそろって、冷たくブローティガンを虐待していた。15歳の頃に日本人への憎しみの感情が蒸発しはじめる。なんで?
17,18歳で17世紀の日本の俳句(松尾芭蕉小林一茶)感銘と尊敬の念をおぼえる。仏教学び、日本の食べ物、音楽にふれ、500本以上の邦画をみて、谷崎などの小説を読む。ってすごい。500本ってなかなかできんぞ。
いつか日本へ行こうと決意するブローティガン
高校卒業後は「作家になる」と周囲に宣言するも誰にも相手にされなかった。イチローも言ってましたねぇ。笑われてきたけどって。イチローはでもことごとくそれをクリアしてきたんだから凄いの一言。
ワイアット・タイヤ社へ入社。タイヤを車にとりつける仕事をする。
缶詰工場で働いたり、新聞配達もしていた。タイヤの店で2年ほど働く。
1955年20歳、ひそかに恋をしていた少女に書いたものを見せるもけなされ、すっかり意気消沈。警察署の窓に石を投げるっておい!勿論、逮捕され、一週間、留置。妄想型分裂病と診断。オレゴンの精神病院に入院。退院後、妹に二度と帰ってこないと告げる。
1956年21歳、頼るあてもなく、一文無しでビートジェネレーション花盛りのサンフランシスコへヒッチハイクで渡る。化学薬品の工場の仕事をしながら小説が書けるようになるため、修行でひたすら詩作を7年もの間、続ける。
ビートの連中とは初めから気が合わず、他のグループ(アッシュベリー、ディガーズ)に入り、詩の朗読などをする。

大学をドロップアウトしたジャニス・ジョップリンがサンフランシスコに渡ったのが1963年。注目を集めたのが1968年以降。
この頃、ビート詩人がジャニス・ジョップリンに歌詞を提供して大ヒットしているのをみて、1968,1969年頃にブローティガンも歌詞を提供したいと言いにいったらしい。だが、悲しいことに本人不在で、追い払われたらしい。あぁ、無情。
1957年22歳で結婚。26歳で娘誕生。27歳、小説が書けるようになっていることに気付く。家族でアイダホのサマーキャンプに行き、夏をそこで過ごし、「Trout Fishing in America」(邦題アメリカの鱒釣り)を執筆。これが1967年に出版され、一躍有名に。翻訳を合わせて400万部以上売れているというんだから恐ろしい。
1966年の秋までほぼ、詩を書かずに小説に専念。
1970年35歳ーすでに別居していたバージニアと離婚。
1976年41歳ー日本へ初の滞在。1か月半滞在し、詩を日記のように書く(邦題「東京日記」)
1978年42歳ー日本人女性と結婚するも2年後に離婚。
1982年46歳ー「SO THE WIND WON'T BLOW IT ALL AWAY」これ、邦題はなんとハンバーガー殺人事件。どこにハンバーガーがあんねん・・・・
この作品の評判は悪く、酒浸りとなるブローティガン
1984年10月25日自宅で死んでいるのを発見される。ピストル自殺。49歳。
1992年エドナ・オブライエンという高齢の女性が若き日のブローディガンから預かった原稿の束を古書店に売却。「エドナ・ウエブスターへの贈り物 未発表作品集」エドナの娘は初恋の少女だったという。

「すべての町をひっくるめて」これがなんとも面白い。特に最後に注目。

想像力
ってのは
ニューヨークより
大きい町だ、

大きいぜ

最後にぜとつけて強調しているのがなんともかわいい。愛嬌がある。
どこにもいけない人でも想像力だけならNYなんかに負けないぜと言ってるようで、想像することの面白さも伝わってくる。

「あばよ、ぼくのエディプス・コンプレックス
クリスマスには
ぼくは
おふくろに贈ろう
時限爆弾を
ひとつ。

最後の行で痛快。次々と父親をとっかえた母親に何を思っていただろう、少年のブローティガンは・・・父親に虐待されて味方は母親しかいなかっただろうに。

レジをしていた私がこの詩を朗読することになろうとは・・
「レジ係」
若い日本の女性のレジ係、
   彼女はぼくがきらいだ  

カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ
   彼女はぼくに対するその嫌悪を
      足してゆく

アメリカのレジの人は総じてフレンドリーらしい。
すみません、私はどちらかというと無愛想でした(おい)
ま、初対面の人には話しかけにくいっすよねぇ、レジで(笑)
しかも後ろに何人も並んでたりしたら、焦りますから。
日米のレジ比較の意見なども出て、この詩は面白かった。
ま、この女性も嫌いというより単に忙しかっただけでしょとかね。
あのカチャカチャカチャカチャと8回繰り返すのが上手いよねぇ。
しかも嫌悪感を足してゆくと。

「タクシーの運転手」ブローティガンはこの運転手が好きといい、それは

まるで生きることに意味がないみたいに
   東京の
暗い通りをかれはとばしてゆく

ぼくも同じように感じているんだと最後にある。彼の家庭環境、死に方なんかを考えると、むべなるかなと。ちょっと哀しくなってくる。
でも逆に考えれば暗いことなんか考えるなよと前向きに生きようという思いがそこにひそんでいるのかなとも思う。