ポエカフェ107回山頭火篇

先月に続いて俳人。今回は種田山頭火1882年12月3日山口の防府生まれ。
山頭火、生まれた時はぼんぼん。自宅から駅までよその土地を歩かずに行けるってどんだけやねん。うちもますく堂から池袋駅まで濡れずに地下通路つなげてほしいわ・・・
父は村会議員、助役など勤めていたが、当時最大の社交場五雲閣に入り浸り、妾を持ち、芸者遊びにうつつをぬかす・・・それを苦にした母フサ(当時33歳)が山頭火9歳の頃、自宅の井戸に投身自殺。山頭火の心に深い闇を落とす。
1896年(明治29年)14歳 松崎尋常高等小学校第3学年の課程を終了。
1902年20歳尋常中学校(現、防府高校)を首席で卒業。翌年、早稲田大入学するも22歳で神経衰弱の為、中退、山口へリターン。
1906年24歳 父が買収した吉敷郡の酒造場をもとに父と「種田酒造場」を開業。が、経営うまくゆかず2月と8月に屋敷の一部を売却。
1909年27歳、サキノと見合い結婚。前年、屋敷全部売却。翌年、長男健誕生。この頃、文芸創作熱高まり、モーパッサンツルゲーネフなどの翻訳、詩、和歌、俳句などを防府の月刊文芸誌「青年」に多数発表。大酒をくらいだしたのもこの頃。
1911年29歳「青年」に参加。定型俳句を主に作っていた。この頃、東京で自由律俳句誌「層雲」創刊(荻原井泉水主宰)その翌年、一切の文芸から当分遠ざかると宣言。芸能人の休業宣言いたいだな。
1913年(大正2年)31歳、山頭火の一句が「層雲」に掲載される。個人誌「郷土」も創刊。って文芸から遠ざかるっておっしゃってたんでは・・・
1914年32歳、山口へ訪れた荻原井泉水と初対面。句集「自画像」(回覧雑誌)を主宰、防府俳壇の中心的存在となる。
1916年34歳、実力が認められ「層雲」の俳句選者の一人になるが「種田酒造場」は多額の負債で倒産。父は家出(おい!)兄弟は離散。山頭火も夜逃げ同然に妻子を連れて、くまもんの故郷に落ちのびる。熊本歌壇にて句作に精進。翌月、古書店熊本市内に開業。屋号は雅楽多。後に額縁店となる。本ならそんなに元手もかからずできると思っていたんだろうな、自分の蔵書を売ればなんとかなると。だが、田舎でそんな売れることもなく、古本ではやっていけず、天皇陛下などの額縁を小学校に行商でまわっていたらしい。
1918年36歳、山頭火と5つ下の弟二郎が借金苦にて岩国の愛宕山山中で縊死。遺書に兄に知らせてくれと書いての自殺。母に続いて、愛する肉親の自殺に、山頭火の心はいかばかりであったろう。
山頭火は岩国へ急行。
1919年37歳、職を求めて単身上京。セメント試験場にてアルバイト。1920年38歳、妻と離婚。のち、一ツ橋図書館に勤務(東京市事務員となる)。この離婚届、勝手にサキノの実家が山頭火に送りつけ、判を押させた。妻のサキノはそんなこととはつゆしらず、山頭火の判があるならと・・・離婚になったらしい。このへんのいきさつが「山頭火の妻」(山田啓代、読売新聞社)に詳しく書かれていて、この本は読みがいがあった。今の様に電話やらメールのない時代の紙1枚の重み。
1922年40歳、神経衰弱で東京市事務員退職。堅気になろうと真面目に働こうと思ってもまたしても働けなくなっていく山頭火。自分の大切な人はみな、自殺していくと、大好きな工藤兄妹たちからも離れる決意。工藤兄妹たちと山頭火のエピソードは「山頭火の恋」(古川敬、現代書館)に詳しい。これがめっちゃ面白い本で、山頭火本で今回、読んだ中でいっちゃん、良かったばい。山頭火によくしてくれる人はことのほか多い。この工藤兄妹もそうだ。この妹さんなんか、家にきた山頭火に今、着ている服はいつ洗いましたかと問い、兄の浴衣を貸してあげて、洗ってあげるという面倒見の良さ!
1923年41歳、9月、関東大震災で避難中に憲兵に拉致され、巣鴨刑務所に留置される。社会主義者と間違われたらしい・・・9月末、サキノのとこへ居候する。この二人、戸籍上は別れてはるけど・・・
1924年42歳、酒に酔い、熊本市で走行中の電車を急停車させ、報恩寺に連行され、禅門に入る。山頭火で一番有名な事件といえばこれ。
1925年43歳、熊本県観音堂の堂守になる。
1926年44歳、小豆島で尾崎放哉死去(41歳)放哉の生き方などに激しく共鳴、句作への熱い思い高まり、西日本各地へ行乞行脚の旅に出る。
48歳のとき、またサキノの「雅楽多」に滞在。長男健は秋田鉱山専門学校へ。
1931年49歳、ガリ版個人誌「三八九」(第一〜六集まで)編集発行。呑みだすととまらん山頭火。泥酔が原因で留置場へ。放哉は酔うと暴れる。それよりましだが、電車の前に飛び出したり、酒で身を滅ぼしていく放哉、山頭火をみてると、酒は楽しく飲んでほしいが、ついつい飲みすぎてしまうんだろうなあ。
1932年50歳、折り本仕立ての第一句集「鉢の子」刊行。小郡町に結庵。「其中庵」と名付ける。
1933年51歳、第二句集「草木塔」刊行。荻原井泉水招いて句会開催。健康状態悪化し、1934年、健が見舞いにくる。
1935年53歳、第三句集「山行水行」刊行。8月、カルモチン多量服用し、自殺未遂。1937年55歳、不退転の覚悟で下関の材木商店に就職するも続かず。ってよく就職できたな・・
1938年56歳、中原中也の生まれ故郷、山口の湯田温泉に仮寓を求めて「風来居」と名付ける。中也とは会えてないが、中也の妻や母と写真撮影してるらしい山頭火
1939年57歳、愛媛県松山の御幸寺境内に庵住、「一草庵」と名付ける。1940年58歳、4月、一代句集「草木塔」刊行(唯一、書籍の形で刊行された自選歌集)。これを知人友人に配るため、旅へ出る。6月最後の旅を終えて帰庵。11月、心臓麻痺にて逝去。享年57.
山頭火、生涯で84000もの句を書いたそうな。

いさかへる夫婦に夜蜘蛛さがりけり  喧嘩してる最中に蜘蛛を眺めている山頭火・・・火に油を注ぐんでは・・・とちょっと心配したくなる一句。
山のけはしさそこにいちにち草苅る人よ  草を刈るしかない人。それをずっと眺めている山頭火山頭火は眺めながら、何百と句作をしたのかもしれないな。

咳をしても一人 この放哉の最も知られている句に捧げた句が
鴉啼いてわたしも一人

まつすぐな道でさみしい  これは曲がりくねっているほうが波乱含みで楽しいということだろうか。自分の家までがまっすぐな道でたれも来なくて寂しいのか。これなんて俳句なの?
             ただのつぶやきなんじゃないと言いたくなるけど、山頭火の自由律俳句は定型句を飛び越えて読むものの想像すら越えていく

毒薬をふところにして天の川  毒でどきっとさせておいて最後はロマンチックにというわけでもないだろうが、毒に天の川をもってくるとこがすごい

旅のかきおき書きかへておく これは早口言葉の練習にいいでしょう。なまむぎなまごめなまたまごと一緒に・・・

分け入っても分け入っても青い山 進んでも進んでも答えが、道がみつからない。そんな焦りもあったのだろうか。

山頭火の句には同じフレーズがでてきて、セットで読みたくなるものがある。
ふる郷の言葉となつた街に来た 
ふるさとの言葉のなかにすわる  この言葉のなかにすわるという表現がとても印象深い。

俳句も詩も言葉あそびといえばそうなのかもしれない。でも命がけでというか酒で体を壊しつつそれでも作ってる山頭火の句だからこそ笑えるのかもしれない。

ぬいてもぬいても草の執着をぬく  これを読んで、分け入ってもの句を思い出した。ぬいてもぬいてもぬけないとせずにぬくのだ。ここに山頭火の決意がこめられているのかも。

安か安か寒か寒か雪雪    これはなんだろう。字面をみてるだけでも楽しくなってくるし、朗読しても厄介だなあと苦笑いしてしまいそうな句。

山頭火さん、句が多すぎて大変です・・・
ゆふ空から柚子の一つをもらふ   情景を詠った句も多いけどこれなんか、非常にきれい。もらふとしているあたりが托鉢をしている山頭火らしい。

夕日に夕刊がきた  日本の夕刊新聞は1877年11月12日に「東京毎夕」が創刊されたのが最初らしい。歩いて配達している少年だろうか。山頭火がぼんぼんの頃を詠ったのか、通り過ぎ
          ていく配達人を詠んだのか。

曼殊沙華咲いてここがわたしの寝るところ  憐れむべきなんだろうけどもきれいな情景が浮かんできてしまい、そんな感情が二の次になってしまう。

やつぱり一人がよろしい雑草   なんか前後のつながりがえ?と疑問視してしまうこのての句もたまにあってぎょっとさせる山頭火さん。575ではなくて474になってる
                んだけどリズムはいいんだよね。
うつむいて石ころばかり    下ばかりみているのは石ころじゃなくてお金が落ちてないかなとかすかな希望を探してでもいるのだろうか。

いそいでもどるかなかなかな   これ、誰かによんでほしかったんだけど、どこで切るねんと。お茶目な句だけど朗読泣かせな句ですな、これ。かとなを連発することによって
                スピード感が出てる。
のびあがりのびあがり大根大根  ぶり大根が食べたくなってきた。こんなリピートの言葉二つで句を作れるなんて、流石は山頭火である。
                
炎天のポストへ無心状である  これは借金を頼む手紙。山頭火はこれでもかというくらい手紙を書き、そして投函した。使いの者が、え?こんな歩いていけるとこにも投函するのかと
               呆れるくらいに。お金がないないという割には、書きまくっていたのだ。

死ねる薬をまへにしてつくつくぼうし  つくつくぼうしという語句も他の句でもでてきた。この薬はカルモチンのことでしょうかね。自殺願望は一度や二度じゃなかったと思う。
死ねる薬を掌に、かがやく青葉     

ずんぶりと濡れてけふも旅ゆく  雨具なんてもう無意味だといわんばかりの濡れ方だろうか。でも激しい雨というより、しっとりと拭いてもふいてもまとわりつく、そんな雨かも。
                山頭火の表現が粋だ。オノマトペが面白い。
とんからとんから何織るうららか とんからとんから。機織りの音が心地よい、そんなイメージがすっと浮かんでくる

酔へばあさましく酔はねばさびしく ほどよく酔って下さいと言いたいがそれができれば苦労しないよと。なんともやりきれない。


http://d.hatena.ne.jp/mask94421139/20140922/1411339138 2014年9月のポエカフェ種田山頭火