ポエカフェ 草野心平篇 

草野心平(しんぺいでこの名前が出てこない、ちっ、へぼPCめ)といえば、蛙である。「「いいまつがい」という本があるけど、PCの変換してほしい言葉で変換しない忌々しいものを一冊にしてほしいわ。もう出てるかな(笑)
さ、話を戻してと、いい名前である。心という字が入っているんだもの。
予習していこうと思ったのだが、自分が持っている文庫がご丁寧に一つ一つ、詩の解説がついていて、つまりは半分も読めずに臨む。ポエカフェのいいところはほんと、予習をしていなくても気楽に参加でき、気まずい思いをしないというのが素晴らしい。
1903年福島県生まれで、5人兄弟の次男。年譜の13歳の時にふと目が留まる。兄・民平、母、姉・綾子を相次いで亡くしたとある。流行病だろうか。
この人、18歳で中国へ行っているのだ。中国といえばパクリで何かと問題だけど、あの頃はそんなイメージないんだろうな。民平の残した詩に触発され、中国で詩を書き始める。そしてカール・サンドバーグの詩に親しむ。がすごいのが、機関銃というあだ名がつくほど、多くの詩作をしていることだ。今の作家だと誰だろうな。毎月新刊を出す作家か、こち亀の作者か。
20歳で雑誌に初めて詩が掲載される。21歳で宮沢賢治の「春と修羅」を読む。これを中国にいる心平に送った友人がすごいよね。だってここから、昭和38年まで草野は宮沢賢治の詩を自費出版などしながらずっと全力で応援するのだ。心平がいなければ賢治が世の中に出るのが数十年遅れていただろう。この運命的な出会いを作った友人に座布団5枚じゃなくて、銀メダル。しかも賢治と心平は一度も会ったことないというから、残念だよなあ。
賢治は会ったこともない心平に「米1俵頼む」とメールじゃないや、電報で頼まれ、造園学の本をあげるというから、面白い。この造園学の書名が知りたい。そして草野がこれをどうしたのかが知りたい。心平のことだから、賢治の詩作と一緒に、造園学の本を持ち歩き、彼は造園学にも造詣があると誉めて回っていたりして・・・
まぁ、本人たちにとっては笑い事じゃないけど。心平ももっと大成した金持ちに頼めばいいのに。
心平は沢山、詩集を出しているから、すぐに金持ちになったのかと思いきや、長いこと、とんでもなく貧乏だったというから驚きだ。
心平の長男が26歳の時に生まれているのだが、名前が「雷」よみはライだよね。
どんな願いをこめてつけたのだろう。
心平がこんなに面白い変人(笑)だとは思わなかった・・・上毛新聞社校正部に入社したのはいいが、二日酔いで元旦の新聞に「天皇陛下」が天皇階下にしたり・・・1930年の元旦の新聞が無性に見たくなってきたぞ。
伝書鳩の世話もしていたらしい。そういえば「相棒」でも伝書鳩を使ったネタがあったなあ。退社して、焼鳥屋台「いわき」をやるなんて。こんな濃いキャラクターだったとは!
次男は大作。雷の次が・・・農業に関する名前でつけているんだろうか・・・
その年に刊行された詩集もタイトルが「明日は天気だ」って。どんだけ貧乏でも明日は明日の風が吹くさって感じで前向きなところがいい。
この詩集は自転車を購入したくて、50部刊行し、押し売りしまくったらしい。だが、悲しいかな、貧乏なのでお米代に消えたとのこと。そりゃ、お米もないのにチャリンコなんか買うてたら、嫁さんにしばかれまんがな。稼いだ金をギャンブルに使うオヤジよりはましだがな。
心平の年譜が面白すぎて、あぁ、終わらない(笑)。「いわき」は1年で閉店した。これにこりて商売から足を洗ったのかと普通は思うが、おっとどっこい、21年後の49歳の時に居酒屋「火の車」をやるというからねぇ、ある意味、ギャンブラー心平かも。それにしてもこの屋号・・・よく4年も続いたものだ。
人が集まる、文壇サロンみたいなのが作りたかったのではという意見があり、そうか、人格の素晴らしい彼にスポンサーがついてればなと思った。
まだまだ芸人ネタは続く。あくびをすると顎が外れ、上司を心配させた心平・・・
「蛙」のイメージしかなかった心平ワールドにどんどん、ギャグネタが仕込まれていく(笑)
だが、心平、詩の世界では本当にすごい人なのだ。詩誌「歴程」を32歳の時に創刊。同人メンバーが中原中也尾形亀之助などで、この雑誌、今でも続いているのだ。
宮沢賢治だけでなく、高村光太郎八木重吉の詩集も編纂・刊行している彼は、スカウトというか、プロデューサーとしての能力にたけ、しかも気に入った相手が見つかると、全力で支援していくという行動力は、なかなか常人にはできないことだ。
ちょっとツイッターでフォローしますとか、そんなレベルではない。あんなに貧乏なのに、それこそなりふりかまわずなのだ。
貧乏生活の彼も60歳でようやく南秋津に家を建てる。人生の終盤を迎えて、彼の詩作活動は衰えない。71歳から年に一冊のペースで12冊の詩集を刊行。最後の詩集が83歳というから、継続は力なりという言葉は彼みたいな人のことをいうのだ、きっと。
詩の朗読は「えぼ」が最高でした。あれ、音源化したほうがいいよ。蛙そのものになりきっているというか、蛙語を詩にするなんて。心平が「詩は技術だ」というこの言葉が胸に突き刺さる。魂の叫び、心の中の思いをただ言葉にするだけではだめということなんだろう。
言葉を推敲し、研いでいく。「秋の夜の会話」のように繰り返しのフレーズの中にふっと「切ない」なんて言葉を忍ばせる。
蛙語の傑作といえば勿論「ごびらっふの独白」これを朗読しろって・・・無謀っす(笑)でもこれ、文字の並びがきれいで、ちょっと声に出していってみたくなる。一気には無理だが。るてえるだよ、始まりが。るのつくことばでそんなきれいな表現他にあるかい?ルビーはだめっすよ、もう寺尾聡の名曲であるもの(笑)もう擬音語だけでこんなに作れるなんて。頭の中におりてきた蛙語をそのまま寸分違わずに書いただけというからねえ。脱帽の一言。確かにこれ、日本語訳なんていらない。音を感じ、そのまま楽しむだけでいいのだ。英語の文章を見るとどうしても訳してくれよと思うけど、ごびらっふ君のつぶやきは意味不明のままでいんだよ。
詩は言葉遊びでもあるのかも。心平の詩って音をつけたくなるけど、歌うとなると・・・更に難しい。
「空間」はたった5行の文だけどインパクトは強烈だ。中原中也が前年に死んで、中也にむけての弔辞だ。これなんか、そいでそいで研ぎ落として厳選した末の5行なんだろうな。簡単にすませたとかそんな軽い口なんて叩けやしない、練りに練られた「空間」なのだ。
個人的には「青イ花」(原題「オ母さん」)も切なくて、意味深で心に残る。
草野心平という詩人についてじっくりとっぷり楽しく学べたこのポエカフェに感謝だ。