ポエカフェ史上初のお題詩人登場篇!

第39回目の今日は神戸在住の現代詩人の高階杞一氏。ポエカフェというと、近代詩人であるからしてお亡くなりになった人ばかりだったが、今回は、な、何と、今も現役でご活躍中の詩人を呼んじゃったのだ。
1951年大阪生まれの高階氏。いつもの年譜なら、ここから幼少時代、学生時代と子と細かく記されているはずが、いきなり24歳にワープ。ご本人がいらっしゃるのだから、直接、聞いた方がよいということなんだな。
大阪は天満のあたりで生まれ、3歳まで大阪に住んでたとのことです。
小学5,6年の時に、詩の好きな先生に中ノ島でやっていた「きりんの会」に連れていかれて、竹中郁と出会っているという。詩の世界へと高階氏を導く第一歩がこれだったのかもしれない。
まっすぐ詩の世界へと突き進んだというのでもなく、手塚治虫が好きで、漫画家をめざしていたという。漫画家になるには美大というわけで、受験するが落ちて、造園のゼミのあった大阪府立大学へ。詩作を始めたのは大学2,3年生だという。
バンドをやっていた時期もあったりと、高階氏は何かを自分で製作するということが好きな人なんだなと感じた。
詩だけでは食べていけないということで、万博記念機構に勤める。万博記念公園といえば、そう、あの太陽の塔だ。万博公園の造園設計もやっていたというから、すごい。そこの森の空中観察路(ソラード)に高階氏の詩が書かれてあるという。以前行った時は、知らなくて、太陽の塔しかみとらんがな。次回行くときは必ず見るぞ。
25歳の時、シナリオ学校へ通い、ここでまたもビッグネームとの運命の出会い。杉山平一が当時、校長をしていたのだ。ポエカフェでつい最近学習した、竹中郁、杉山平一の名前が立て続けに出てきて、参加者も大いに盛り上がる。
第1詩集「漠」が出たのが29歳の時。
昭和から平成に変わった1989年、32歳で出したのが「さよなら」(鳥影社)38歳で「キリンの洗濯」(あざみ書房)表紙は漫画家の原律子
この詩集で翌年、第40回H氏賞受賞。
神尾和寿と詩誌「ガーネット」創刊。現在、68号まで発行されている。
42歳の1993年、「星に唄おう」(思潮社)刊行。大阪シナリオ学校講師になり、2005年まで勤務。そう、校長杉山平一さんに呼ばれての着任であった。
43歳の時には小野十三郎が立ち上げた大阪文学学校講師となる。こちらは98年までなのだが、そうなると、シナリオ学校と両方、やって、なおかつ、詩作にも打ち込むという多忙な生活を送られていたのだろう。
そして、この年、「早く家へ帰りたい」(偕成社)刊行。
翌年、「春‘ing」(思潮社)と続けて刊行。
48歳になると2冊刊行「夜にいっぱいやってくる」「空への質問」
柳波賞の審査委員をやり、現在もされている。
H賞の次は「空への質問」で第4回三越左千夫少年詩賞受賞。
52歳になるととても奇抜な(笑)題名の詩集を刊行。その名は「ティッシュの鉄人」
50代になっても刊行ラッシュは続き、53歳では、「高階杞一詩集」というベストアルバムのようなものも刊行される。
54歳、「桃の花」刊行。
勢いはまだまだ止まらない。
57歳、「びーぐる 詩の海へ」の編集同人に。
そして最新の詩集が今年刊行された「いつか別れの日のために」
蒼穹
このきれいなひびきのタイトルの詩の中に肉という単語が二回も出てくる。人間を指し示すであろうこの肉という文字が
染み入るような青さを逆に引き立たせているような気がする。
「漠」という詩は忘れた頃にまた朗読してみたい。意味深でミステリアスな詩だ。その時もまた今と同じような印象をうけるかどうか、試してみたい詩。
わたしのなかに穴がある
と暗闇に引きずり込むかのようなフレーズ。でも続きを読んでいて、不思議と落ち込んでいかない。君も一度訪ねてきてくれたまえなんてあるからだ。
気が狂うほど静かだから遊びにきたまえと。死後の世界をもイメージしてしまうのだが、そんな安易な詩ではないような気がする。
「さよなら」この詩は比喩がとても巧みで最後の一行はぴりっと辛味がきいている。
ぼくが突然、この世から消えてしまったら、君は泣くだろうね、きっと
と、なに、不吉なこと、いうてんねんと、恋愛の歌に使えそうな文で始まっていく。で、最後は今度は君が云うのだ、ぼくに似たパンをいやになる位、食ってやると。
ぼくはどんなパンなんだろうと話し合うのも面白い。ぼくが先に死んだとしても落ち込んで自暴自棄になったりしないでねと言ってるようでもある。
草野心平といえば蛙。高階氏といえば、キリンに象である。「象の鼻」という詩は半年ぐらい出来上がるのにかかったという。ひとつの詩を諦めることなく、半年も納得いくまで推敲、
熟成させるのがすごい。
「キリンの洗濯」ではやはりこのフレーズが洗練されていて、しかも心に入ってくる。2日に一度、部屋でキリンの洗濯をするという詩である。
折りたためたらいいんだけれど
傘や
月日のように

Dさんだったか、香取慎吾が宝くじのCMでキリンを飼ったというのがあったという話がでた。うん、あったなあと思いながら、このCMの製作者はひょっとして、この詩を読んで
思いついたんでは?なんて想像が膨らんでいく面白い詩だ。そうか、ますく堂もきりんを飼えば、目立って、皆、迷子にならずに店に来れるし、いい宣伝に・・・(笑)
面白いといえば「星に唄おう」がこれまた傑作である。高階氏は詩集を一つ出すと、マンネリを恐れて筆が進まないようなことをおっしゃていた。そういう重圧をあっさりと地球の裏側まで
けっとばしてしまうような詩がこれなのだ。
「さ」
さまよえるオランダ人
を書いたのはワーグナー
と始まるのだ。巧いなあと微笑んでいたら、次の行でどきっとさせられる。
さまよえるぼく
を書くのはぼく以外になく
と続いて、私をうならせる。
面白い、巧い詩だけではない。
「愛」という詩では、あふれる想いを息子に真っ直ぐに捧げた。息子は生まれた時から、腸に神経がなく、手術を繰り返し、わずか3歳で旅立つ。
この詩は別に詩でなくてもよかったのだと。技巧云々、ああだ、こうだと言われたくなかった、この詩だけはと語る高階氏の言葉が全てだと思う。
「人生が1時間だとしたら」
どきっとするような題名だけど、人生悪いことばかりじゃないよと励まされているような詩。
人生が1時間だとしたら
春は15分
と冒頭にあり、春の間に箸の持ち方やら、規律やら覚えて恋をしてふられて泣くんだといい、でも
残りの45分
きっとその
春の楽しかった思い出だけで生きられる
と結ばれる。
ご子息のことを知ったあとに読んだので、切なさも押し寄せてくる。自分の悩みなんかたいしたことじゃないと痛感させられる。ほんとに自分が世界で一番
しんどいのか、苦しいのか、よおく、考えてごらん、楽しいことは一度もなかったかい?って。
正しい解釈じゃないかもしれないけど、「春のスイッチ」と「声」は夢を簡単に諦めるなよって言われてるような詩で、続けて読むといいなと思った。
「春のスイッチ」では
ぼくのひらくような日が
いつか
ぼくにも
くるのかなあ
と締めくくっていて、
「声」で
ぼくにも
ーー飛んでごらん

やさしく呼びかける声がして
と結ばれている。
反戦の詩なんて書いたとしても今すぐ、どこかで起きている戦争がストップするわけではない。と高階氏反戦詩を書いてといわれても断っていたそうだが、
「戦争」という詩を書かれた。子供にむかって書いたのだ。子供がこの詩を読んでくれて、戦争なんてと思いとどまってくれたらと未来のために。
黒板に私は愛と書くという文から始まっていく。最後の1行がもう、強烈に突き刺さる
黒板消しはいらない
爆弾が落ちてきて
それらを一瞬のうちに
消す
世界中の人たち、戦争をしようとしてる人、すべての人に読んでもらいたい詩である。
江古田の中庭の空で行われたポエカフェ。詩集が充実していて、本好きにはたまらない空間だと思う。なんとも居心地のいい場所で、コーヒーも美味しかったし、今度、またゆっくり伺いたい。
店主さんに顔を知られてるとは思わんかった。あぁ、びっくりしたわ(笑)