ポエカフェ 高橋新吉編

この人、日本初のダダイスト詩人らしい。初めまして、ダダさん。これで知り合いにだださんが二人(笑)ということで、古本界隈で有名なあの駄々さんも勿論、今回は出席である。この駄々さんはダダイストではなく、駄々っ子イズムから命名とのこと。
ダダとはフランス語で玩具の子馬ー何の意味もないということらしい。
で、本家のダダイズムとは既成の秩序や常識をひっくりかえせという思想を特徴とする芸術運動で、つまりは過激派(おい)
外側から入ってくるものをなんでもかんでもそっくりそのまま信じて受け入れるのではなく、本当にそうなのか、事実なのか疑うということは非常に大事なことだと思う。
毎回、ポエカフェで楽しみの一つなのが、ぴっぽさんの特製テキスト。その中でも年譜が楽しみなのだが、あれ、このおじさん、長生きしてる割には、箇条書きが多くて、なんか物足りないぞ。みると、この人、なんだか、本の刊行ばかり書いてあって、ネタがないではないかっ!謎多き人物なんだろうか・・・
1901年(明治34年)愛媛生まれ。自分が行ったことのある県の出身だとそれだけで、おおお、と親近感が湧いてくるものなんである。
新吉の親父は学校の先生。母は十一歳の時に逝去。で、親父は後妻をとり、それが面白くなかったのか、新吉は無断で家出。上京するも戻る。そして、一時、神戸の十合呉服店で働く。
その後、二度目の上京をするもチフスにかかり、また帰郷。まだ少年の時分から働いたりして、自立心旺盛だったのだ。私の場合はただのわがままな出家もとい、一人暮らしでしたが(笑)
新吉の少年時代の年譜がまた異様に少ない(笑)あっという間に20歳になり、黒岩涙香が創刊した新聞「万朝報」に「焔をかかぐ」という小説で入選。
そして、ダダに感染とある。知らない人はなんの病気やろと思うかも。
21歳の時、愛媛の出石寺の小僧となる。小僧の生活って、厳しそうだなあ。
半年後に退山して、三度目の上京。初の詩集「まくはうり」を作る。辻潤にダダを教える。一つの思想を教えるってのはすごく難しいことじゃないのかと思う。他にも佐藤春夫、宮島資夫を知る。
1922年で22歳。覚えやすい(笑)この年は激動だ。「ダガバジ断言」、「ダダの詩三つ」を発表。新吉は濁点好きらしい・・・
弟が死に、義母が入籍。
その年の暮れに発狂が報じられる。もうこの頃って、新吉は有名人だったということか。新聞で報じられたのかな。
翌年、ここがポイントなのだが、辻潤が勝手に「ダダイスト新吉の詩」を編集、佐藤春夫の序文つきで刊行。この頃、新吉は発狂してたので、自分の詩集を破ったらしい。どいつもこいつも破天荒。
辻潤も昭和7年、発狂して、小島清と同棲している頃に「俺は天狗になったぞ」と叫びながら飛び降りた(幸いにもかすり傷のみ)という事件があったらしい。
ついていけん・・・
1924年小説「ダダ」刊行。韓国初のダダイスト高漢蓉に招かれて、訪韓
1925年、草野心平来訪。
1927年足利紫山老師の提唱をきく。中原中也が新吉のもとへ訪れる。中也は新吉の詩に感動して絶賛のラブレターを書く。ここまではよしとしようではないか。
「読んだら返事くれ」と高飛車な言葉が添えてあったそうな。だが、新吉もただものではなかった。発狂していて、中也に返事を書くどころではなかった・・・
中也のひととなりを知りたい人は「中原中也との愛ーゆきてかへらぬ」(長谷川泰子、角川文庫)も是非、ご覧あれ。これがまた、面白いんだな。
1928年、岐阜のお寺で厳しい接心中に、発病し、郷里で静養。
翌年、春以来の座敷牢生活。昔の大きい家には座敷牢なるものありて候。精神の異常きたし身内を恥と考え、家から一歩も出さなかった。そりゃ出せない。何せ、新吉は誰彼構わずに糞尿を投げつけるのだから。そんな新吉に心痛重なりし、父が首吊り自殺。
このショックな出来事が契機となって、新吉は立ち直っていく。精神病を克服し、座禅修行していくのだ。
新吉は以後も数回、海外へ。樺太に行ったり、北京に寄ったりしている。
終戦の年に江古田に越すとある。どこだ、江古田のどこだ!
51歳で結婚したそうな。中原中也の詩に感動した長谷川泰子。新吉のお相手も彼の詩にいたく感動した女性であった。55歳で長女新子(これ、しんこか・・・)誕生し、、60歳の時に
次女温子誕生。
新吉の本で面白いのがタイトル。「高橋新吉詩集」と題するものがあちこちの版元から出ているという点と、「発狂」とか「精神病者の多い町」なんていうずばりなタイトルのつけかたをしている点だ。
新吉は1987年86歳で永眠。おおお、昭和62年まで生きていたのか
辻潤によってダダイスト詩人と認定された新吉だが、単にダダというよりは禅との関わりも忘れてはいけない。ダダ禅詩人なのだ。
「仏」なんていう詩がある
最初の一行に
しずかなる光は仏から来る
と。ダダオンリーの詩人だったらこんな詩は書かないであろう。
41歳で悟りを開いた新吉。無心を求め、いや、求めたら既に無心ではない・・・か。そんな新吉だからこそ「死」という詩で
私は死ぬことは絶対に無い
といえるのかもしれない。これはもしかしたら、父の自殺で、己は一度死んだということなのかもしれない。
新吉と父の関係を表すものもある。その名もずばり、「父」では
父は私を愛していた世界中の誰よりも
と最後に締めくくっている。黒砂糖と空豆を差し入れにきた父に対して、投げ返したりしていた新吉。
皿を22回言ってください。はい、そんな詩を書いたのも新吉。頭が混乱しますから(笑)皿洗いの仕事をしていたという新吉。私ならさしづめ、新聞紙の紙とか、本という
文字だな。
私は皿より「留守」が気に入った。短いもの(おい)皿だけは当たるなよと片道切符のくじ引き前に念をかけてたなまけもの(どんだけ・・・)
5億年たったら帰って来る
と新吉はおっしゃってます。5億年というのは菩薩の降臨する周期らしい。へぇ・・・
留守にするかと思えば「宇宙」では
俺が宇宙だ
なぁんていうてます。そうか、あんたが宇宙か!宇宙はおれだけのものだなんて、ちょっと恐ろしいっす(笑)
悟りを開いて、禅の思想をとりいれてからは詩もいうことがでかい。虚無的かと思えば、意外と明るいのだ。絶望的な暗さというのがない。
それでも「無意味」という詩は全否定なのかと一瞬、思ってしまうほどの無意味宣言ではあるが、示唆深い詩だ。
一切のことが、生きる事が無意味だとしたら、自分の存在意義はどこにあるのだろう・・・かと。哲学の授業で参考文献に使うのも面白いかも
「大切」のこの二行もなかなかいい。
君は縦に生きるつもりか。
僕は横に生きようと思ふ。
この縦と横はどんな意味を持つのか。人間関係?でもこの詩で、最後に地球を大切にせねばと書いているからなあ。
新吉の詩には雀がよく出てくる。雀という言葉で何を伝えようとしたのか、何を伝えたかったのか。存在するすべてのものを雀としたのか。
今回の新吉フードがこれまた美味しかった。愛媛のみかん入りの紅茶のすっきりした旨さといったら!もっとびっくりしたのが、パンに炒飯をはさんだ
あのダダサンド。これはカッカカフェで定番化してほしいね。愛媛ドリンクも夏の定番にしてほしい。