ポエカフェ「プレヴェール」篇

プレヴェールといえば100冊あっという間に売り切った青いカバさんである。
台風が接近中で誰も来ないのではと心配していたぴっぽさんの不安を見事に吹き飛ばしたポエカフェ同人。集まる集まる、15人はいたよね。常連さんと初参加の人のバランスもよく、台風なんて蹴散らす勢いの人数であった。
ジャック・プレヴェール。1900年2月4日ヌイイ・シュル・セーヌ生まれ。
アンドレは保険会社員。多趣味な人で政治、スポーツ、映画、芝居、文学などを好んだという。
幼少期は文学、映画、演劇好きな両親と週末に映画を観に行くのが何よりの楽しみだったという。小さい頃から映画見る習慣があるというだけでいい環境だなと思う。弟ピエールが1906年生まれる。翌年、父、保険会社を失職。いい仕事がもらえる予定だったのだが、もらえず、自殺しようとしたことも。
15歳 一家の経済的困窮でモンパルナスのマーケット店員、大百貨店ボン・マルシェ(世界で一番古い百貨店で身元調査が厳しい)の店員となる。以後、職を転々とする。アンドレの父オーギュストが貧民局(生活保護の審査など)に勤めていたので、アンドレもそこに勤めていたのだが、それに一緒についていったこともあるらしい。フランスの小学校は当時、木曜が休みで休みの日に、ついていったらしい。
20歳 徴兵される。徴兵先でのちの画家イヴ・タンギーを知る。
21歳 徴兵されて、上陸初日から規律違反、反抗のかどで営倉に入れられる。類は友をよぶ。そこで出会ったのがマルセル・デュアメル。
22歳 兵役解除。デュアメルにイブ・タンギー、弟のピエールを紹介。この4人は親友となる。ピエールは映写技師だったので無声映画の傑作をみせ、皆がいりびたる。いいねぇ。
プレヴェールは「ファントマ」シリーズで悪人ファントマのすべての殺人場面をこまかに列挙するのが得意だった、って、凄すぎやわ。北島マヤみたいだ・・・(いまだに完結されずに放置されているかわいそうなガラスの仮面の主人公で、セリフは一度か二度で他の人のセリフまで覚えるという人物)
24歳の時、デュアメル、タンギーと共同生活始める。デュアメルがモンパルナスのシャトー街54番地のあばら家を借り、改装して、以後、ここを根城としたのだ。
25歳 アンドレ・ブルトン、ペレ、デスノスらシュールレアリストたちがこの根城に集まる。
26歳 スーボー、アントナン・アルトー(前衛演劇のパイオニア)をグループから除名する相談が行われる。この頃、プレヴェーはルシュールレアリスム・グループに深く接していた。
28歳 タンギーと共にグループから除名される。プルトンやアラゴン映画芸術を認めようとしなかったことが主原因のようだ。翌年、プルtを猛烈に攻撃したパンフレット「屍体」をバタイユデスノス、レイリと共同で発表。この頃から文筆活動を開始。映画制作に打ち込みながら、詩を雑誌に掲載。
32歳 フランスの前衛映画史上に残る作品となった「仕事は上々」のシナリオを書く。デュアメルが出演、彼も端役で出演。
33歳 プレヴェールの諷刺劇「フォントノワの戦い」がモスクワの国際労働者演劇オリンピックの一等賞になる。
ヒトラーの台頭をみて、多くの時局詩を書く。撮影所でジョゼフ・コスマと出会う。このコンビでシャンソン、映画主題歌が次々と作られる。イヴ・モンタンエディット・ピアフジュリエット・グレコらがプレヴェールの詩によるシャンソンを歌ったそうやで。「10月グループ」のための戯曲多数。今回の詩人もキーワードを検索するとちゃうことばっかヒットする・・・表記が一文字違ってもうまくヒットしないこともある、察してくれ、空気よんでくれ!
フランス語で検索するのが一番なんやろうなあ。10月グループとかもっと知りたいのにさぁ。でもポエカフェで一番厄介のが検索しても何もでてこない、でてきたとしてもぴっぽさんのポエカフェというのが厄介かつ一番多い。古本屋で検索して古ツアさんがでてくるというあのパターンである。
36歳 マルセル・カルネ(弟と同年生まれ)の最初の長編劇映画「ジェニーの家」(フランソワーズ・ロゼー主演)の脚本。12月「10月グループ」資金難で解散。
38歳 カルネの「霧の波止場」の脚本。この作品でカルネはヴェネツィア国際映画祭監督賞等を受賞。
39歳 タンギー、NYへ去る(1955年没。)第二次世界大戦勃発。プレヴェール退役。
40歳 フランス敗退。ナチス占領期は南フランスに疎開
42歳 カルネの「悪魔が夜来る」の脚本。この映画は1942年、フランスの映画コンクールの第一席を占めた。
43歳 カルネの「天井桟敷の人々」の脚本執筆。ランス市の高等中学生徒たちによる200部限定ガリ版刷りのプレヴェール詩集が秘密出版される。プレヴェールはこんなに書くお仕事してるのに本にまとめることに興味がないそうなのだ。無欲なのか・・・
45歳 だからやっと最初の単行本が周囲のすすめででたのが45歳になってからなんだな。詩集「言葉たち(パロール)」刊行。待望の詩集だったので、自由詩やら散文詩やらメモなどの寄せ集めやというのに数百版を重ねた驚異の売れ行きとなる。
47歳 放送局の窓から転落事故(泥酔しとったそうな)で数か月静養。詩集や童話を刊行。
49歳 カルマとコンビ最後の作品となった「港のマリー」をカルネと共同で脚本。
77歳 肺がんで1977年に死去。

「劣等生」(小笠原豊樹訳)この詩は相反するものを並べているのが面白い。
あたまは「いやだ」と横にふり
心のなかでは「いいよ」という

ふしあわせの黒板に
しあわせの貌(かたち)をえがく

劣等生というより反抗期かなと。自分に正直でいたい、嫌なことはしたくない、そんな気持ちがここにこめられているのかも。

詩によっては小笠原豊樹訳と大岡信訳のふたつがテキストに掲載されていて、今日のテキストは盛りだくさんなのだ。これ以降、記載してない場合はすべて小笠原訳。
「葬式に行くカタツムリの唄」
枯葉のお葬式にカタツムリが行く。喪服だけはお脱ぎなさいとある。なんでやと思って先を読むと故人の思い出を汚しますとある。ここが一番印象的だった。

シャンソン」(北川冬彦訳)原題もシャンソンらしい。小笠原訳では「唄」とある。
きょうは何日かしら
きょうは毎日だよ

わたしたちは 一日が何だか知らないんだ
わたしたちは 愛が何だか知らないんだ。

人の一生って何だろう、一日って何?愛って何?と軽やかに問いかけている。こんな重いテーマなのに軽快に。

「朝の食事」まるで映画の一場面
茶碗に
コーヒーをついだ

私は頭をかかえた
それから泣いた

恋人との別れの一幕だろうか。セリフはひとつもない。あなたは誰を思い浮かべるだろうか。

「美しい季節」これも映画をみているかのような。ドラマのワンシーン。
16歳のはらぺこの娘がでてくる 最後の2行がいい

コンコルド広場
八月十五日正午。

日本人なら終戦を思わずにはいられない。が、フランス人だからどうだろうか。

「庭」こういう詩をかっこいいというのではないか。
千年万年の年月も
あの永遠の一瞬を
語るには
短すぎる
きみはぼくにくちづけをした
ぼくはきみにくちづけをした

パリは
地球の上
地球は一つの惑星。

前半だけでもかっこよすぎるわ、これ。だめ押しで最後に地球はときたからね、参りました・・・
タイトルは庭なんだけど規模でかすぎる庭だな、これ。

かたつむりの詩と同じくらい長くてもう、朗読は絶対ほかの方にお願いしたいねと思ったのが「バルバラ」長いので次にいきます・・
「なくした時間」
最後の2行がお茶目ではなまるです
工場の門の前
労働者がふと立ち止まる

なあ 太陽くん
じっさいくだだらねえと
思わんかい
こんないい一日をまるまる
経営者にくれちまうのがさ。

皆、思ってるさ。こんな天気のいい日になんで屋内にとじこもって仕事せなあかんのって。痛快なジャブに座布団5枚です。
「血と羽根」
想い出のひばりよ
流れるのはきみの血だ

きみはこなければよかった
ぼくのてのひらに
忘却の粒を食べに。

最後の1行がいつまでもひっかかってしまう、そんな詩。

「とかげ」
恋のとかげが
また逃げた

これは「なくした時間」同様、シニカルな面白さのあってかなおかつ、わかりやすい詩。
最後に僕は飼ってやるつもりだったのにと締めくくってるのもいい。逃げられたのに暗さがない。